🔶少し、高橋紹運公の胸中を私なりに賢察してみました。
仕える大友宗麟は、関白秀吉に恭順の意をすでに表している。
後方にはこの頃から勇将の頭角を現し始めていた長男宗茂(後の柳川藩主・立花宗茂)が布陣している。
左宝満山にはには次男統増が布陣している。女・子供の多い軍勢だ。
敵将島津忠長からは降伏せよとの勧告。関白秀吉の応援の軍勢はすでに出発している。
宗茂の陣へ引けば、統増の陣が孤立させることになる。
秀吉軍を待ち、とりかえせば、主君への義は立つ。
だがそれでは主君の秀吉からの評価を下げることになってしまう。
それくらいのことは、紹運のほどの優れた武将ならば考え付いたはずだ。
彼は死中に克を求めたのだ。息子二人にすべてを託して・・・
高橋紹運は生涯疱瘡を患って容姿も変貌していた妻を愛していたといわれています。
だが彼は、妻のその心を愛し、生涯、妻は一人しかめとっていません。
家族思いであり、義を大切にした彼の求めた道はただ一つ。
彼もまた生きるためにかけたのだ。愛する家族を守るため、息子たちよ、生き延びよと・・・。
だからこそ多勢に無勢の中、愛する者たちのためならと最後まで、命をかけてまで闘うことができたのでしょう。
その高橋紹運の戦う姿に、高橋紹運配下の兵士すべてが壮烈なる戦死。
紹運を追い、一人残らず殉死していったと伝えられています。
敵将島津忠長も高橋紹運が戦死したあと、号泣し続けたといわれています。
彼は、床几を離れ地に正座し、
「我々は類まれなる名将を殺してしまった。紹運殿は戦神の化身のようであった。
その戦功と武勲は今の日本に類はないだろう。
彼の友になれたのであれば最高の友になれただろうに…」
と諸将とともに地に伏し、涙を流し手を合わせたと伝わっています。
九州平定を終えた関白秀吉は観世音寺にて、宗茂を呼び寄せます。
岩屋城をとりかえした宗茂の眼前で涙を流しながら語ったと伝えられています。
『紹運こそ、この乱世、下剋上の世にあって、誠の男、高橋紹運こそ乱世に咲かせた華よ!、戦国の華よ!・・・』
と涙を流したといわれています。
👆太宰府市内、筑紫野市、大野城市、春日市、福岡市も眺望できる。
ここ岩屋城跡は眺めは最高に素晴らしいのだが、日陰がありません。
今日はけっこう風が強いほうでした。涼しくて、気分よく自撮り。ぽちっとな♪
👆高橋紹運公の墓に行ってみましょう!

狭い石段を降りていくと・・
コメント
shige66RD
詳しいですね。
怪我、完全に完治ですね。
次、日本一の石段(3333段)登りますか?!
(熊本県美里町)
2017/07/15 URL 編集
55ライダーα
歴史大好き❤特に戦国時代は❤高まる~
1度登りました。石段作った人を恨みました(笑)\(^o^)/
性格悪いっちゃないと?😁
2017/07/15 URL 編集
厭世かっぱ
2017/07/15 URL 編集
55ライダーα
裏山がこんな状態ですから、体作りに・ライディングにも、燃えますよ~!
2017/07/15 URL 編集
Michiru
あれでこけても責任とってくれんし
2017/07/16 URL 編集
55ライダーα
あれ、ほんとあきませんよ!そんな道でもこけんように特訓ですわ!(笑)
あれで、こけんやったらどこの道路走っても大概こけんとちゃいます~♪
なんや、今日は関西弁になってしもたわ(笑)?
2017/07/16 URL 編集
雲
本当にお疲れさまでした。
でもむそんなに無理して大丈夫なのでしょうか?
熱中症には用心して下さいよ。
歴史の勉強有難う御座いました(笑)
2017/07/16 URL 編集
55ライダーα
無理して?いや、燃えております~(笑)
太宰府というところは歴史の勉強にはもってこいのところです。
2017/07/17 URL 編集
55ライダーα
ナイス!ありがとうございます。
2017/07/17 URL 編集
55ライダーα
ナイス!ありがとうございます。
2017/07/17 URL 編集
55ライダーα
ナイス!ありがとうございます。
2017/07/17 URL 編集
55ライダーα
ナイス!ありがとうございます。
2017/07/17 URL 編集
55ライダーα
ナイス!ありがとうございます。
2017/07/17 URL 編集