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原八坊跡とその歴史・・・①

※本ブログでは記事中に広告情報を含みます

私の住むところは、太宰府市連歌屋・三条から見える水瓶山ふもとにあり、現在は宅地化している一帯にあるのですが、昔は原山無量寺という中世の寺院があったといわれている跡地に住んでいます。その大半は宅地開発により消滅してしまいましたが、その一部は原遺跡として原山無量寺本堂跡が去年の秋口から発掘調査中です。

原山無量寺は、寺伝によると天台宗の円珍が唐に渡る前に、普賢菩薩を刻み、天安2年(858年)に、その八人の弟子たちがここに寺を創建したことに始まるとされています。その八坊とは華台坊、六度寺、安祥寺、十境坊、真寂坊、宝寿坊、寂門坊、明星坊(明星坊は途中で廃絶し、慶長年間に常修)坊が加わります。)をいい、本堂や中堂の他、多くのお堂が建ち並んでいたようです。

福岡市博物館が所蔵の原山古図に、往時の壮麗な伽藍群が描かれています。
原山古図

また、建武3年(1336年)、戦いに敗れ、九州まで落ち延びてきた足利尊氏が多々良浜(現在福岡市東区にある流通センター付近が合戦場とも言われている)で菊池勢を破って、この原山の一坊に入ったこともあり、その後、一時は南朝方の懐良親王の征西府が置かれたこともあったとも伝えられています。しかし、天正14年(1587年)、秀吉の九州平定前に九州制圧にでた島津勢と大友宗麟家臣の高橋紹運との岩屋城の壮烈な戦いにより、全て灰燼に帰し、江戸時代、原八坊の僧侶たちは安楽寺(現在の太宰府天満宮)に奉仕する社僧になったと伝えられています。

さて、古くからの歴史を持つ原八坊ですが、発掘調査では、古代(9~10世紀)の竪穴式石室の墳墓などのほか、13~14世紀の坊跡と考えられる掘立柱建物、石垣、道路状遺構なども出土しています。

寺伝では9~16世紀まで継続したことが伝えられていますが、発掘調査ではその確証は未だ得られいなかったのですが、先日、推測された本堂跡から、石の階段および本堂基礎と思われる部分がみつかりました。発掘現場で話を伺ったのですが、太宰府市教育委員会も今回の調査で本堂跡が発見され、何年かかってでもこの一帯の調査は実施していくそうです。歴史好きの私と家族もこの発掘調査と今後の経過は大変楽しみにしています。

(太宰府市『太宰府市史 考古資料編』より)

(太宰府市「太宰府いしぶみ散歩」『太宰府市史 文芸資料編』より)


次回の記事では、私が39年前に天原山安楽寺太宰府天満宮 検校坊墓所を発見したときの状態を紹介したいと思います。

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