お天気の良い日に、左腕に包帯・三角巾という目立ついでたちでありましたが、諸事雑用で出かけ帰りに太宰府天満宮ルートで春の雰囲気をあじわいに~♪
▲御神牛。みなさん賢き知恵を授からんとばかりに並んで待っています~。ナデナデ
これは樹齢1000年を超えるとされる白梅で、本殿に向かって右側に植えられており、根本は3株からなっています。太宰府天満宮に植えられた梅のなかではいちばん先に咲き始めるとされています。飛梅は元来、菅原道真の配所跡に建立された榎社の境内にあったが、太宰府天満宮が造営され、本殿前に移植されたともいわれています。このほか、道真を祭神とする神社に株分けされたものが各地に現存しています。
平安時代の貴族・菅原道真は、平安京朝廷内での藤原時平との政争に敗れて遠く大宰府へ左遷されることとなった延喜元年(901年)、屋敷内の庭木のうち、日頃からとりわけ愛でてきた梅の木・桜の木・松の木との別れを惜しんだといわれています。その時、梅の木に語りかけるように詠んだのが、有名な次の歌です。東風(こち)吹かば にほひをこせよ 梅花(うめのはな) 主なしとて 春を忘るな
初出。寛弘2- 3年(1005- 1006年)頃に編纂された『拾遺和歌集』巻第十六 雑春東風ふかば にほひをこせよ 梅の花 あるじなしとて 春なわすれそ「春なわすれそ」の形の初出と見られています。治承4年(1180年)頃の編纂でしょうか。『宝物集』巻第二。こちらのほうが現代の方には馴染みがあるかもしれませんね。
現代語訳:東風が吹いたら(春が来たら)芳しい花を咲かせておくれ、梅の木よ。大宰府に行ってしまった主人(私)がもう都にはいないからといって、春の到来を忘れてはならないよ。飛梅伝説語り伝えによると、道真を慕う庭木たちのうち、桜は、主人が遠い所へ去ってしまうことを知ってからというもの、悲しみのあまり、みるみるうちに葉を落とし、ついには枯れてしまったという。しかし、梅と松は、道真の後を追いたい気持ちを強くして、空を飛びました。ところが松は途中で力尽き、摂津国八部郡板宿(現・兵庫県神戸市須磨区板宿町)近くの後世「飛松岡」と呼びならわされる丘に降り立ち、この地に根を下ろした(これを飛松伝説と言います)。ひとり残った梅だけは、見事その日一夜のうちに主人の暮らす大宰府まで飛んでゆき、その地に降り立ったといわれています(これが飛梅伝説)。飛梅伝説の現実的経緯としては、諸説があるようですが、道真に仕えて大宰府にも同行した味酒保行(菅原道真が太宰府へ左遷されてからも随行された方)が株分けの苗木を植えたと。この味酒保行の末裔の味酒安信さんから、私が若き頃、毎夏、我が家の横にある天現山安楽寺(太宰府天満宮)荒れ果てた天満宮墓所を清掃しながら教えていただいた話です。
数多くある瓢箪~。厄払いの一種なのですが、災難続きの今、したくなる気持ちもありますが、正直申しまして、私にとっては厄に見える現象も、日頃の一つの御神縁と考えております。生かされていることに感謝です。
帰り道、もあい君(勝手につけてます・・笑)にご挨拶しましたね。
以前もアップしてます。にらめっこしてる気分になるのでさっさと退散(^^♪
▲我が家の紅梅。白梅もあり、昔は天満宮の飛梅よりも咲き誇っていたのですが、平成15年の土石流水害から何故かあまり咲かなくなってしまった。剪定や土壌、水質にも色々工夫していましたが・・・
そんな中でも咲いているわずかな紅梅♪
私の夢の一つは、もう一度だけでもいいから
我が家の紅白梅を咲き誇らせてみたい・・・
あともう少しで我が家の中にも本物の春がやってきます。
その時には私の左腕もきっと元どおりに♪
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