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仕事でバイクに跨る爺の日記。懐かしい映画、アニメなどの感想記事中心に記しています。

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日本のテレビアニメ昭和徒然史~㉗、波動エンジン始動!編

当方の拙いブログですが、いつもご覧いただきありがとうございます。日本のテレビアニメ昭和徒然史~も㉗回目、1974年下期(7月~12月放送開始分)の紹介となります。


『ギャートルズ』は、園山俊二による日本の漫画作品。
製作:朝日放送と東京ムービーの共同製作。
放送期間:1974年10月5日~1975年3月29日までTBS系列、1975年4月5日~1976年3月27日までNET系列。全77話。

★舞台は、どこま~でも、果てしなく地平線が続くギャートルズ平原。立派な狩人を目指すゴンは、大黒柱のとうちゃん、しっかり者で美人のかあちゃんらとともに今日も元気に平原を駆け回ります。命を掛けたマンモスとの決戦もあり、死神との激しい攻防、突然のゴールドラッシュなどなど……サバイバルな原始生活が始まったのでした。

🧐この『はじめ人間ギャートルズ』は、大声が大きな石の形で飛んでいったりマンモスから人間が踏みつぶされたりしてペラペラにされたり、その表現が最高に面白かったですね。独特のユーモアや世界観があって、大変な人気のあった作品です。



▲【公式】はじめ人間ギャートルズ OP「はじめ人間ギャートルズ」”GIATRUS, THE FIRST MAN”(1974)
作詞 - 園山俊二 / 作曲 - かまやつひろし / 編曲 - あかのたちお / 唄 - ザ・ギャートルズ



てんとう虫の歌』は、川崎のぼるによるギャグ漫画・人情漫画。テレビアニメ化もされています。

てんとう虫の歌:放送データ〕
放送期間:1974年10月6日 ~1976年9月26日
放送局:フジテレビ系列にて放送。全104話。
制作:タツノコプロ
平均視聴率:16.7%(タツノコプロが所有する資料による)

『巨人の星』や『いなかっぺ大将』に続く川崎のぼるのアニメ化作品で、フジテレビ系でのタツノコプロ制作のアニメとしては『いなかっぺ大将』から2年越しの作品となります。

🧐『てんとう虫の歌』タイトル名の由来は、主人公が7人きょうだいであることからナナホシテントウの黒点の星数にちなんだものです。両親を飛行機事故で失ってしまい、兄弟7人で力を合わせて生活していく一週家、きょうだい達の心温まる人情物語。アニメ作品では事故ではなく、過労による病気で既に両親が故人となった所から始まっています。

きょうだいの名前は、月見(つきみ:長女)、火児(かじ:長男)、水男(みずお:次男)、木介(もくすけ:三男)、金太郎(きんたろう:四男)、土丸(つちまる:五男)、日曜子(ひよこ:次女)と、曜日の名前をモチーフにしてつけられました。
祖父の配慮で豪邸の敷地内のバラックに住まわされることになります。が、自ら生計を立てることを要求され、この為、上の姉兄は小学生にも関わらずアルバイトで生活費を稼ぎながらも、下の弟妹の親代わりとなって懸命に生きていきます。
テレビアニメ作品でこうした人情系の作品は珍しかったです。個人的には人情系の作品は、大好きであります。


てんとう虫の歌 OP&ED
●オープニングテーマ
「ぼくらきょうだい てんとう虫」
原作詞 - 川崎のぼる / 作詞 - 若林一郎 / 作曲・編曲 - 菊池俊輔 / 歌 - 堀江美都子、こおろぎ'73、ヤング・フレッシュ
●エンディングテーマ
「ぼくらそろって一週間」(第1回 - 第82回)
作詞 - 若林一郎 / 作曲・編曲 - 菊池俊輔 / 歌 - こおろぎ'73、ヤング・フレッシュ



『宇宙戦艦ヤマト』は、1974年に讀賣テレビ放送・日本テレビ放送網で放送されたテレビアニメおよび、1977年に劇場公開された総集編のアニメーション映画作品をさします。「宇宙戦艦ヤマトシリーズ」の第1作目である。通称「一作目」「ヤマト」「ヤマト1」「パート1」と呼ばれています。
宇宙戦艦ヤマト(第一作)・放送データ〕
原作:西崎義展、山本暎一
監督:松本零士
アニメーション制作:オフィス・アカデミー
製作:讀賣テレビ、オフィス・アカデミー
放送期間:1974年10月6日 ~1975年3月30日 全26話(放送開始時39話予定)
宇宙戦艦ヤマト(第一作)・ストーリー〕
2199年、地球は謎の宇宙艦隊・ガミラス帝国の侵攻を受けていました。冥王星に前線基地を建設したガミラスは、地球に対して遊星爆弾による無差別攻撃により、海は干上がり、地球の地上は赤茶けた姿に変貌し、放射能汚染で地上の生物は死滅してしまいます。人類は、その生存権を地下に求め、地下都市を建設し、地球防衛軍を結成して抵抗を続けていたが、ガミラスの圧倒的な科学力の前になす術もなく、地下にも放射能汚染が進行し、全人類滅亡まであとわずかに1年と迫っていました。

そんな中、銀河系外宇宙から飛来した1隻の宇宙船が、火星に不時着し、その通信カプセルは回収されます。その中には、地球から14万8000光年離れた大マゼラン星雲にあるイスカンダル星から地球に宛てた、「放射能除去装置 コスモクリーナーDを受け取りに来るように」とのメッセージと、外宇宙航海に必要なワープを可能とする波動エンジンの設計図が納められていました。

地球防衛軍は、九州の坊ノ岬沖で、250年も前の太平洋戦争で沈んだ日本海軍の戦艦「大和」を隠れ蓑にして建造中の宇宙船にこの波動エンジンを搭載し、コスモクリーナーDの受領のための宇宙戦艦「ヤマト」として完成させます。
沖田十三を艦長とし、古代進、島大介、森雪などの若き乗組員を乗せ、イスカンダル星に向け、1年という限られた時間の中、宇宙戦艦ヤマトは人類最後の希望を託されて往復29万6千光年の旅にでます。




ガミラス冥王星前線基地の反射衛星砲、および基地を撃破し太陽系を離脱したヤマトは、宇宙機雷やガス生命体などのガミラスの罠や、時には想像を超えた事象をも突破して銀河系外へとイスカンダルめざして不安なる航海を続けていきます。
一方、ヤマトの存在を目障りに思い始めたガミラス総統デスラーは、宇宙の狼と恐れられるドメル将軍にヤマト討伐の任を与えます。
次元断層で一戦交え、ヤマトを強敵と判断したドメルは、ヤマトの航路の中間地点バラン星までヤマトを誘い込み、バラン基地ごと撃破する作戦を立案・実行するが、作戦内容に反発した部下の密告により失敗し、基地を失ってしまう。そのため、ドメルは死刑宣告を受けるが、デスラーはこの処刑執行を握り潰す。

デスラーの温情により最後のチャンスを与えられたドメル将軍は、空母艦隊を率いて、ヤマトと七色星団での決戦に臨んできます。ヤマトは瞬間物質移送器での航空機のワープによる奇襲波状攻撃に苦戦し、ドリルミサイルで切り札の波動砲を封じられ、爆破されかねない窮地に立たされるが、ドリルミサイルの排出と爆発で逆に敵艦隊をせん滅します。生き残ったドメルはヤマト第三艦橋へ接舷し、沖田と言葉を交わした後、ヤマトを巻き込み自爆します。辛うじて生き延びたヤマトだったが、その犠牲も大きく、戦死した乗組員の宇宙葬を行い、再びイスカンダルへの道を進み始めます。

ヤマトは、ついに大マゼラン星雲まで辿り着くが、そこにはイスカンダル星だけでなく、その隣に、二重惑星であるガミラス星が存在していたのです。罠に嵌ってガミラス星へと引きずり込まれたヤマトは絶体絶命となるが、波動砲で海底火山脈を撃ち抜き、地上に大火山活動を誘発させ、勝機を見出す。激戦の末、生ける者のいない廃墟と化したガミラス星を見た古代は、自分たちの犯した過ちを痛感する。そして、自分たちに今できることはイスカンダルへ向かうことであると思い至り、再びヤマトを発進させる。

イスカンダルへ辿り着き、放射能除去装置コスモクリーナーDを受け取ったヤマトは、一路地球への帰路を、ワープに次ぐワープで急ぎます。ところが、地球を間近にしてガミラス本星での戦闘を生き延びたデスラーに襲撃されます。その戦いの中でコスモクリーナーDを起動させた森雪が、装置の不具合により命を落としてしまう。恋人である古代は悲しみに暮れ、地球を目前として、雪の遺体を第一艦橋へと連れて行き、ともに地球の姿を眺める。地球を目前にした沖田は、その姿を目に焼き付け静かに息を引き取る。その後、第一艦橋で奇跡が起きます。第一艦橋に連れてこられていた雪が蘇生し、古代を始め艦橋にいた全員は、赤茶けた地球を前にして、喜びが広がります。

そして、西暦2200年、ヤマトは地球へと帰還。地球は蘇り、元の青さを取り戻します・・・

🧐この宇宙戦艦ヤマト(第一作)という作品は、最初に放送された時は、あまりの低視聴率に26話完結へと変更されたのですが、1977年に日本全国にヤマトフィーバーが沸き起こるほどになりました。当時、中学、高校を過ごした状況を顧みながら、個人的な視点ですが、考察してみたいと思います。

★まず、宇宙戦艦ヤマトのドラマ設定です。今までにあったアニメ作品と段違いのスケールのためです。毎回ドラマ冒頭のでのナレーションです。ここまで、地球を赤茶けて人類絶滅完膚亡きまで叩きのめした設定の作品は、今までなかったと思います。単純な評をするなら暗くて重いのです。
何度も再放送されるうちに、視聴率も上がっていった宇宙戦艦ヤマトですが、私の父が、このヤマトに反応したところは、戦艦大和が飛ぶというポイントです。当時のわたしには武骨な戦艦が飛ぶなんて、あまりとは感じませんでした。
クラスメートの女子のうちでは、あの始まりの川島和子さんが歌う、スキャット!これに魅かれる~。この意見が圧倒的に多かったのです。見ている世代で評する多くの視点が「宇宙戦艦ヤマト」にはありました。





▼そして、ヤマトの第一艦橋、コスモゼロに見られるように、今までのアニメ作品にはなかった外見は武骨な宇宙戦艦ですが、そのヤマト艦内の精巧なメカニックデザインは、当時の私達の学生世代でも斬新すぎていたのです。当時は今のようにインターネットもない時代でしたから、ある程度のファン層獲得するためには再放送しかありませんでした。

宇宙戦艦ヤマト第一艦橋
▲ヤマト第一艦橋

コスモゼロ
▲コスモゼロ





★そして、何といっても、ヒューマニズムあふれるキャラクターと使命感あふれるドラマ設定など、ヤマトの魅力あるコンテンツを卒なく、繋いでいるのが、音楽です。「宇宙戦艦ヤマトはオーケストラでなくてはならない」との、意を受けた故作曲家、宮川泰氏の功績が大と思います。







▲1977年に劇場公開で、宇宙戦艦ヤマトは大ブレイクすることになりますが、再度1977年アニメ作品の記事でご紹介したいと思います。



【カリメロ】

『カリメロ』(Calimero)は、黒いヒヨコのキャラクターと、そのキャラクターを主人公としたテレビアニメ作品である。イタリアの漫画家、ニーノ・パゴットとトーニ・パゴットのパゴット兄弟と、兄弟のアニメ制作会社に勤めていた漫画家のカルロ・ペロニによって1963年に企画制作されました。
カリメロのキャラクター元は、イタリアの洗剤会社Mira Lanza(現・Reckitt Benckiser (Italia))がRAIのCM番組カローセッロ向けに製作したアニメーションCMのキャラクターでした。子供達の大人気を呼んだため、短編アニメ化されたことになります。その後、テレビアニメが製作され、世界中で放送された作品です。

🧐東映動画が、このキャラクターを使用した全47話のテレビアニメを製作し、1972年1月6日から1973年6月6日まで、オランダのオランダ公共放送で放送されました。
国内ではNET(現在:テレビ朝日)系列で、1974年10月15日から1975年9月30日に放送されました。厚生省中央児童福祉審議会推薦作品。


▲カリメロ オープニング  『ぼくはカリメロ』
オープニングテーマ - 「ぼくはカリメロ」
作詞 - よしだたけし / 作曲 - 木下忠司 / 歌 - 山崎リナ


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コメント

みやbee 2021/12/27 23:01  編集 URL

蘇生!?

雪が最後に目を覚ますシーンは古代クンの見た幻だと思っていました。
そうですか、無事だったのね〜(*'▽'*)♡

私も宇宙戦艦ヤマトに魅了されたひとりです。
壮大なテーマだからこそ劇場版で観る感動はひとしおでした。
のぶさん 2021/12/28 05:47  編集 URL

Re: 蘇生!?

私達の世代「宇宙戦艦ヤマト」は、最初は仲間内で「やまと?」「トマト?」
口コミでさわさわ?からザワザワ~!!
とうとう映画にまでなってしまった~といった感じでした。ラジオドラマ「宇宙戦艦ヤマト」までできたくらいですから。

今、第一作を見ると、すごく新鮮ですよね。作画は荒いですけど(>_<)
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