◆1974年10月にテレビアニメ『宇宙戦艦ヤマト』が初めて放映され、日本全国で『宇宙戦艦ヤマト』の再放送が増えていくたび、着実に視聴率があがりファンを獲得していきました。そして、この本作が映画化の決定を受けて日本中が、ヤマトフィーバーとなりました。
当時、高校生の私も、友人と一緒に本作品を鑑賞しにいきました(徹夜並びはしませんでしたけど(*_*))。新聞やニュースでもアニメ映画に徹夜の長蛇の列!?などかなり話題になりました。
当時、映画化決定を受け、本作が小説となったり、ラジオドラマ化されたりなどもしました。今から45年前のことです。
『宇宙戦艦ヤマト』のストーリーはこの記事を参考にしてください。
▲当時、女子クラスメートの間で話題になっていたのが、このシーン。「夕日をあびて、眠る大和」
👇ヤマトが、イスカンダルのマザータウンに着水し、洞窟から潜航してからの部分から、ラストまでが、劇場版(初版)の作品。すでにスターシャも亡くなっており、スターシャの地球人類へのメッセージは、感動的でした。スターシャの姿も消え去ると塔も消えてしまう。古代守も登場してきません。
1977年、8月7日に『宇宙戦艦ヤマト』が劇場公開されていますが、実はこのあと、劇場版・総集編『宇宙戦艦ヤマト』が出来て、シリーズ化されていきました。
1979年に『海のトリトン』〈78分〉(オフィスアカデミー制作)の劇場版映画が公開されましていますが、この時劇場版・総集編『宇宙戦艦ヤマト』との二本立てで公開されました。
◆今、この歳になってあらためて『宇宙戦艦ヤマト』を見て、私も還暦越えたからなのか、視点が、ほとんど沖田艦長をみているんですね。赤茶けた地球を目前にして、「地球か、何もかもみな、懐かしい。」と息絶えるシーン。ほんとに共感します。
★本作『宇宙戦艦ヤマト』が登場し、人気を博したことで、それまでのアニメ作品にはなかった現象が出始めたのがこの頃からです。ヤマトファンのみならず、アニメ作品の作り手のスタッフにまで、関心が沸き起こるようになってきたのです。作画は誰であるとかアニメーターは他にどんな作品に関わっているとか、視聴する側もアニメ作品の細部にまで関心をよせるようになってきたのです。
月刊アニメージュというアニメ専門雑誌がありますが、これは、幼年向けのテレビ情報誌『テレビランド』の徳間書店児童少年編集部はかねてより新雑誌の発売を構想。ブームに当てこんだテレビランド増刊『ロマンアルバム・宇宙戦艦ヤマト』が40万部を記録したことがきっかけとなって、月刊のアニメ雑誌を創刊する運びになりました。創刊編集長の尾形英夫の命名により、「animation」と「image」をミックスした「アニメージュ」に誌名が決定。「別冊テレビランド」という位置づけで刊行が開始されました。高級感を出すために価格は580円とあえて高めに設定したが、創刊号の1978年7月号は7万部を完売し、たちまち25万部にまで成長したという。(ウィキペディアより引用)私も当時、購入してました。
『宇宙戦艦ヤマト』もシリーズ化され、現在のリメイク版『宇宙戦艦ヤマト2199』などの作品をはじめ、『宇宙戦艦ヤマト2202』などリメイクも次々と公開されていますが、どの作品も素晴らしいと思います。『宇宙戦艦ヤマト』だけに限らず、他の作品でもリメイクされたものが多くありますが、設定・ビジュアル・美術的に引き寄せられるくらいに素晴らしいものが多いです。
昭和のアニメには、ビジュアル・美術的には今一つの作品が多いのですが、逆に作画(特にタッチ)などに適度な荒さの部分があり、作り手の意志というか、思いのようなものが押し寄せてくる感があります。
昭和のアニメ作品の記事を時系列で追っていますが、作り手は、良い作品を作りたい。見る側は、良い作品を見たい!この思いはいつの時代も同じです。😄
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