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◆◆1983年7月21日にアニメ映画『はだしのゲン』が公開されました。今回は本作の紹介をします。
『はだしのゲン』は、中沢啓治氏による、自身の原爆の被爆体験を元にした自伝的漫画作品です。同漫画を原作とし、実写映画やアニメ映画・テレビドラマも製作されています。戦中戦後の激動の時代を必死に生き抜こうとする主人公中岡ゲンの姿が描かれています。
本作を原作としたアニメ作品は1983年7月に『はだしのゲン』、そして1986年6月に『はだしのゲン2』が公開されています。1995年8月5日・6日に、原爆投下50年にRCCテレビの昼間のローカル枠で広島県向けの原爆特別番組として『はだしのゲン』・『はだしのゲン2』が放送されていました(朝日新聞広島全県1995年8月5日および8月6日朝刊テレビ欄)。製作はゲンプロダクション、アニメーション制作はマッドハウス。
原作者中沢啓治氏が、漫画や実写映画では描ききれない原爆の実情を表現したいとの意図で一部私財を投じて製作された。
ここでは、アニメ映画『はだしのゲン』をご紹介します。
【はだしのゲン・概要】
自伝的な作品で、作中のエピソードの多くも中沢が、実際に体験したことです。作者は当作を反戦漫画として描きたかったのではなく、それ以上に「踏まれても踏まれても逞しい芽を出す麦になれ」という「生きること」への肯定の意味を込めて「人間愛」を最大のテーマとして描いています。
母親を火葬した際に骨が残らなかった、という作中にもあるエピソードが、中沢に広島原爆の被爆を題材とした漫画を描かせるきっかけとなりました。発表分の末期は、終戦から何年も過ぎた戦後の内容となっており、昭和天皇に対する批判やアメリカ軍およびアメリカ合衆国に対する批判、警察予備隊(後の陸上自衛隊)発足に対する批判する内容も含んでいます。ただし、その時期の話にも原爆の傷痕は、根強く描かれている。
時代考証の間違いや左派的な主張をはじめ、作品の内容、表現などについて様々な意見があるのですが、作者の中沢の実体験に基づく原爆の惨禍や当時の時代背景・世相風俗を表現していながら、エンターテインメントとしても読ませる作品として国内外での評価は高く、映画・ドラマ・アニメ・ミュージカル・絵本・講談化もされています。2010年6月調査のgooランキング「読んでおきたい日本史モノマンガランキング」の第1位に選ばれています。
2007年5月30日からウィーンで開催された核拡散防止条約(NPT)運用検討会議の第1回準備委員会で、日本政府代表団は、本作の英訳版を加盟国に配布することになりました。外務省が英語版30冊を出版社から譲り受け、今後も「漫画外交」を活発に展開させる予定と報じられていました (共同通信 (2007年4月29日). “はだしのゲンで核軍縮訴え 外務省、NPT会議で配布”. 47NEWS (全国新聞ネット). オリジナルの2013年8月24日時点におけるアーカイブ。)。
2018年9月時点で累計発行部数は1000万部を突破しています。アニメ作品で描かれた原爆投下による表現描写は、1989年に公開された東映映画『黒い雨』(監督今村昌平)での参考とされました。
当初はVHSやベータで映像ソフト化され発売していたものの、長らく廃盤となっていましたが『はだしのゲン』、『はだしのゲン2』ともに、広島への原爆投下60年忌にあたる2005年8月6日にジェネオンエンタテインメントよりDVD化して発売された。アメリカでもDVDが発売されています。(ウィキペディアより引用)
【はだしのゲン・制作データ】
原作・脚本・製作者:中沢啓治
監督:真崎守
設定:丸山正雄
作画監督・キャラクター設計:富沢和雄
美術監督:男鹿和雄
色彩設計:西表美智代
撮影監督:石川欽一
編集:尾形治敏
音響監督:明田川進
効果:倉橋静男(東洋音響)
音楽:羽田健太郎
主題歌:HARRY 「今すぐ愛がほしい」 エンディング:「どこから来てどこへ行くのか」
録音:アオイスタジオ
キャスティング:青二プロダクション
現像:東京現像所
プロデューサー:吉元尊則(汐文社)・岩瀬安輝(マッドハウス)
協力:中国放送
▲Barefoot Gen 1983 Full Movie(English sub)
👆『はだしのゲン』本編
アニメ作品とはいえ、原爆投下時の激しい被爆描写があります。
▲原爆ドーム。所在地は広島県広島市中区大手町1丁目10。原子爆弾投下の目標となった相生橋の東詰にあたり、西から南にかけては元安川を挟んで広島平和記念公園が広がっています。
1945年(昭和20年)8月6日8時15分に、日本の広島市に投下された原子爆弾の悲惨さを今に伝える建造物(被爆建造物)です。広島平和記念碑とも呼ばれています。もとは広島県のさまざまな物産を展示するための広島県物産陳列館として開館され、戦中から原爆投下時までは広島県産業奨励館と呼ばれていました。
ユネスコの世界遺産(文化遺産)(ID775)に登録されており、平和を訴える記念碑として、特に負の世界遺産と呼ばれている。
「負の世界遺産」という表現そのものには厳密な定義はないが、他にアウシュヴィッツ=ビルケナウ強制収容所や、バーミヤン渓谷の文化的景観と古代遺跡群などがその例とされています。
★私は戦後15年後に、広島市内で生まれました。戦後生まれとはいえ幼いころからこの原爆の無残さは言葉にしにくいぐらい、体験しました。そのことは還暦越えた今でも記憶にはっきり残っています。
はじめて、近所のおばちゃんから被爆の傷跡を見た時の衝撃。そして被爆2世の女の子で成長が止まってしまい、喋ることさえ不自由になってしまった子もいました。被爆していないのに突如悪性腫瘍のため治療のかいなく一緒に卒業できなかった友人もいました。
何故、なんでと・・・
ご覧になったことがない方は、是非一度は『はだしのゲン』をみていただきたいと思います。
原爆ドーム、立ち寄られたことのない方は機会があれば、是非ご覧になっていただきたいと思います。