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長編アニメーション映画『火垂るの墓』

◆◆今日は1988年4月に公開された、長編アニメーション映画『火垂るの墓』の内容、感想などをご紹介します。

『火垂るの墓』は、1988年に公開されたスタジオジブリ制作のアニメーション映画で高畑勲監督の長編アニメーション映画第6作です。雑誌『オール讀物』に連載していた野坂昭如さんの同名小説(『火垂るの墓』)を原作としています。
キャッチコピーは、「4歳と14歳で、生きようと思った」、「忘れものを、届けにきました」
同時上映は、『となりのトトロ』

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本作のストーリーは、おおむね原作と同様ですが、多少の違いがあります。清太の死が、いきなり冒頭で描かれ、幽霊になった清太の「僕は死んだ」というナレーションから始まり、カットを切り返してして神戸大空襲から清太の死に場所となった駅構内へ赴くまで原作の構成をほぼ忠実に描写されています。
後半部分の演出において、特に節子の死のシーンの描写や、冒頭で現代の三宮駅から過去の三宮駅に切り替わるシーンやラストで現代の神戸の街のシルエットに繋がる構成などはアニメオリジナルのものであり、幽霊となった清太が自分が死ぬまでの数カ月間を現代まで繰り返し見ていることや、この作品が心中物であるのが冒頭だけでわかるように緻密に構成されて描かれています。
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【火垂るの墓・制作経緯について】(ウィキペディアより引用)
本作は、1988年(昭和63年)の公開時、宮崎駿監督作品『となりのトトロ』と同時上映されていますが、先に企画された『となりのトトロ』は、当初、60分程度の中編映画として企画されており、単独での全国公開は困難であったため、そこで鈴木敏夫の発案として同時上映作品として高畑勲監督作品『火垂るの墓』の企画が決定したという経緯が伝えられています。

最終的に、両作とも上映時間は90分近くなり、長編2本体制で公開されています。アニメ映画界の二大巨頭の代表作、しかも作風も物語も印象も全く相反する内容の作品を一緒に観ることができたのですが、当時としてみれば地味な素材であった上、東宝宣伝部が消極的だったことや[17]、高畑・宮崎両監督の一般的な知名度も現在ほどではなく、公開日が春休み後の中途半端な時期でもあったため、配給収入は5.9億円と伸び悩んだ結果に。しかし、評論家からは大変な好評で『キネマ旬報』誌の日本映画ベストテンでは6位に食い込んでいます。

両映画の制作はスタジオジブリで同時に進行しました。東映動画でも長編作品を2本同時進行したことはなかったといい、高畑・宮崎の信頼に耐える主要スタッフ(アニメーター)は限られていて、人員のやりくりに制作側は苦労することになりました。特に揉めたのが、作画監督の近藤喜文さんの処遇でした。結果として宮崎さん側が新しく参入したスタッフを中心に制作したのに対し、高畑さん側は近藤さんや美術監督の山本二三さんなど旧知のベテラン陣を集めています。高畑さんは後年の回想で、近藤さんを獲得することが「最優先、いや絶対的な課題」であったと述べ、それ以外のメンバーについては自ら勧誘には動かなかったとしています。

当初は両作とも60分であったが、高畑の『火垂るの墓』の時間が長くなると、対抗するように宮崎の『となりのトトロ』の時間も延び、結果的に長編2本の同時進行となりました。しかし、彩色の作業がどうしても公開までに完了しないことになってしまいました。高畑さんは、大幅なカットで破綻させることなく観客の鑑賞に堪える方法を百瀬義行さんとともに検討し、「『演出意図』としての必然性が感じられれば、見る人に受け入れてもらえるのではないか」という「苦肉の策」で、1988年(昭和63年)4月の公開時点では清太が野菜泥棒をして捕まる場面などを色の付かない白味・線撮りの状態で上映することになりました。これらの箇所は、公開後も制作を続け、後に差し替えられています。鈴木敏夫さんによると、公開が間に合わないという話になった際、高畑は同様に未完成版を公開したポール・グリモーの『王と鳥』(『やぶにらみの暴君』)のように未完成になった経緯の説明を冒頭に付けて公開する提案をして、鈴木がそれを断ると、2箇所彩色が抜けることを明かし、鈴木はその状態での公開を承諾したといわれています。

わずかであっても、未完成での劇場公開という不祥事に、高畑勲はいったんアニメ演出家廃業を決意します、しかし後に宮崎駿さんの後押しを受け、1991年(平成3年)に『おもひでぽろぽろ』で監督に復帰することになります。

徳間書店社長・徳間康快の要請を受け、野坂さんの原作小説を文庫として販売している新潮社が『火垂るの墓』の出資・製作となっている。新潮社が、メディアミックスで映像製作に携わる初めてのケースとなりました。こうした経緯もあって、ビデオやLDは徳間系列ではないパイオニアLDCから発売され、その後リリースされたDVDも、ジブリ作品としては例外的にワーナーの扱いとなっています。また、2020年からNetflix(アメリカと日本を除く世界約191カ国)とワーナーメディア系のHBO Max(アメリカ)にて順次開始されたジブリ作品の定額制動画配信サービスでも当作品のみ除外となっています。

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【火垂るの墓・あらすじ】
1945年(昭和20年)9月21日、清太は省線(現在のJR神戸線)三ノ宮駅構内で、14歳の若さで衰弱死してしまいます。清太の所持品は錆びたドロップ缶一つ。実は、その缶の歳で衰弱死した妹・節子の小さな骨片が入っていたのです。駅員がドロップ缶を見つけ、無造作に草むらへ放り投げました。地面に落ちた缶からこぼれ落ちた遺骨のまわりに蛍がひとしきりに飛び交い、やがて静まります。

太平洋戦争末期、兵庫県武庫郡御影町(現在の神戸市東灘区)に住んでいた清太とその妹・節子は、6月5日の神戸大空襲で母も家も失いました。二人は、父の従兄弟の嫁で今は未亡人である兵庫県西宮市の親戚の家に身を寄せることになるのです。最初のうちは、円満だった共同生活も戦局が進むにつれ、2人を邪魔扱いする説教くさい叔母との諍いが絶えなくなっていってしまいました。居心地が悪くなった清太は、節子を連れて家を出ることを決心し、近くの満池谷町の貯水池のほとりにある防空壕の中で暮らし始めます。配給も、途切れがち、情報や近所付き合いもないために思うように食料が得られず、節子は徐々に栄養失調で弱っていってしまいます。清太は畑から野菜を盗んだり、空襲で無人となった人家から火事場泥棒し、時には見つかり殴られた上に派出所に突き出されながらも、飢えと闘います。

ある日、川辺で倒れている節子を発見した清太は、病院に連れていくも医者に「滋養を付けるしかない」と言われ、銀行から貯金を下ろして食料の調達に走る最中に日本が降伏し戦争は終わったことを知ります。清太は日本が敗戦し、父の所属する連合艦隊も壊滅したと聞かされ、ショックを受けるのでした。戦後の物不足の中、清太はやっとの思いで入手した食べ物を節子に食べさせようとしますが、既に手遅れとなっており、節子は終戦から7日後の8月22日に幼い生涯を終えるのでした。節子を荼毘に付した後、清太は一人、防空壕を去ります。その清太自身もまた栄養失調で倒れてしまいます。身寄りも無く、三ノ宮駅で寝起きする戦災孤児の1人として亡くなってしまいます。

遺体は、他の死亡した30人の死体と共に荼毘に付され、無縁仏として納骨堂へ収められたのです。

火垂るの墓節子

【火垂るの墓・登場人物、キャスト】
公開当時、清太の声を担当した辰巳努さんは16歳1カ月、節子の声を担当した白石綾乃さんは5歳11カ月で、共に作品舞台と同じ関西地区の出身です。清太、節子の母の声を担当した志乃原良子も大阪出身で、他にも、同じ関西が舞台である高畑勲の作品『じゃりン子チエ』に出演経験のある山口や表淳夫も含めた関西出身の俳優が多数出演しており、本職のアニメ声優はほとんど起用されていません。
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●清太: 辰巳努
本作の主人公。14歳(旧制中学3年)。通っていた神戸市立中(旧制)は空襲で全焼したことが清太により言及。家も焼け出され、母も死去し、幼い妹・節子と共に西宮の親戚の家にいきます。叔母と折り合いが悪くなり、幼い妹節子と共にその家をでます。衰弱してゆく節子に食べ物を与えるため盗みをするなど必死になるが、栄養失調で節子を失い、1945年(昭和20年)9月21日夜、清太自身も駅構内で栄養失調のため衰弱死した。同時に節子の遺骨が入ったドロップの缶は駅員に放り投げ出されてしまいました。
●節子:白石綾乃
本作のヒロイン。4歳。清太の妹。母の言葉や着物のことを覚えている。清太から母が亡くなったことは聞かされず、病院に入院していると誤魔化されていたが、中盤で、実は叔母から母が既に亡くなったことを聞き、知っていたのです。栄養失調から来る衰弱のため体に汗疹や疥癬ができ、髪には虱がつき、何日も下痢が続いていた。その影響で徐々に目も虚ろになり焦点もあっておらず、死の直前は清太の言葉もほとんど通じていなかった。この際、おはじきをドロップと思って舐めたり、石を御飯だと勘違いするほど思考力が落ちていた。スイカを食べた後、目を覚ますことはなく息を引き取ります。彼女の遺体は清太によって大事にしていた人形、財布などと共に荼毘に付され、遺骨はドロップの缶に納められました。
ドロップが好きで、手持ちを全て食べつくし、衰弱し何を食べたいかを聞かれ最後に「またドロップ舐めたい」と語っていたが叶うことはありませんでした。

●清太・節子の母:志乃原良子
兄妹の母親。心臓が悪いが、気立てのよい、上品な女性。2人より先に防空壕に行こうとしていた際に空襲に被災、全身に大火傷を負い重体となります。包帯も取れない状態で、腕の一部が焼け蛆虫がついており、清太が駆けつける直前に昏睡状態に陥り、そのまま亡くなってしまいます。
清太は節子に真実を話すことができず、「西宮の回生病院に入院している」ことにしている。なおアニメ映画では、清太は母の遺骨を納めた箱を叔母の家についた直後に庭に隠しています。

●清太・節子の父
兄妹の父親で海軍大尉。戦争に出征しているため、劇中では写真と回想シーンでのみ登場します。清太は、節子が生まれる前に観艦式を見たことがあると語った際に、父が巡洋艦「摩耶」に乗っていたこと、観艦式が「連合艦隊勢揃い」であったことを話している(映像描写においては、夜間に行われた観艦式の華やかさと、そこに父の乗艦が参加していることが描かれ、父の袖章は大尉を示している。清太の記憶や想像の映像化であるか、清太が節子に話した内容の映像化であるかは曖昧なものとなっている)。清太が手紙を出しても連絡が着かなくなっていたが、戦争終了後、父の乗った連合艦隊は全滅していたことが判明する。

●親戚の叔母さん:山口朱美
西宮在住(原作小説で西宮郊外の満池谷と記されている)。清太と節子を一時的に引き取る。当初はうまくいっていたが、次第に諍いが絶えなくなってしまいます。清太と節子を預かることは清太の言及によると約束になっていたようであり、叔母の言動から母も叔母の家に疎開する予定でした。勝手に出て行ったのは清太達で叔母は直接的に追い出す言動は取っていないが、引き止めもしていません。
空襲警報が鳴るたび不安になって池のほとりの横穴に逃げ込む二人に対して「そんなに命惜しいねんやったら、横穴で住んどったらええのに」と言い放っています。
叔母さんの娘:女学生。三つ編みの清楚な風貌の少女。節子に下駄をプレゼントする。母が自分達の食器にだけ雑炊をまともに盛ったのに対し、清太と節子にはほとんど雑炊の汁しか与えなかった際は、居心地の悪そうな素振りを見せています。
叔母宅の下宿人:学生。眼鏡をかけた、真面目そうな青年。叔母に愛想を尽かされ庭で煮炊きする清太と節子を見て、気の毒がる素振りをするが、下宿人という立場からか積極的な擁護まではしませんでした。
警察官:清太が畑泥棒に気づかれ暴行を受けた後に突き出された交番の警官。物分かりが良く、傷だらけになるまで暴力を振るった農家をたしなめた。

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【火垂るの墓・制作、公開データ】
製作:佐藤亮一
企画:佐藤俊一
原作:野坂昭如 新潮文庫版
音楽:間宮芳生
キャラクターデザイン・作画監督:近藤喜文
レイアウトチェック:百瀬義行
作画監督補:百瀬義行、保田夏代
原画:石井邦幸、羽根章悦、森友典子、大谷敦子、河内日出夫、奥山玲子、山内昇寿郎、高野登、木上益治、高坂希太郎、岡田敏靖、桜井美知代、酒井明雄、石黒育、小川博司、賀川愛、梅津泰臣、庵野秀明、才田俊次、大関紀子
動画チェック:尾沢直志、矢吹英子
動画:吉野高夫、堀内博之、神原よし美、原佳寿美、平田英一郎、金子昌司、辻繁人、鍵山仁志、柴田志朗、成田達司、粟田務、稲田浩、高野亜子、小須田ひろみ、川橋良江、西戸スミエ、片山雄一、鈴木まゆみ、河内由美、牧孝雄
本橋明美、佐久間敬子、大内正彦、田辺修、長岡みどり、江野沢柚美、古沢英明、入江篤、太田世彦、藤本真弓、反田誠二、斉藤百合子、木田葉子、武井智子、米山幸子、嘉村弘之、山田みどり、佐藤伸子、小川祐子、飯沼卓也
西山映一郎、井坂純子、塩原智恵子、福土多鶴子、佐藤文
動画協力:動画工房、オープロダクション、ドラゴンプロダクション、グループライナス、スタジオぽっけ、スタジオジャム
美術監督:山本二三
美術助手:久村佳津
背景:小関睦夫、平田秀一、菱山徹、樋口法子、田村盛揮、金箱良成、中座洋次、橋爪ふきこ、須藤栄子、平川栄治、伊奈淳子
特殊効果:谷藤薫児
色彩設計:保田道世
仕上検査:小川典子、柏倉由里子
仕上:古谷由実、松下友紀子、大武恭子、岩切紀親、渡部真由美、久保田瀧子、高木有紀、設楽久子、大野恵津子、市川由美子、西牧道子、渡辺信子、田原とし子、七海礼子、原田徳子、佐久間芳美、佐久間多恵子、高橋直美、町井春美
浅井美恵子、石田君江、山口やす子、中田信子、米井フジノ、宮川はれみ、吉川孝男、五十嵐信子、伊勢田美千代、佐藤英子、豊永真一、完甘幸隆、細谷明美、高砂芳子、青木利栄、平井静子、志岐和恵、青沼麗子、平沼和枝
別部真奈美、小菅勉、安井理絵、吉川潤子、堀井まつ子、佐野信子、町田千恵子、柴田美知子、中山伊久江、服部由美、五十嵐淳子、斎藤富美子、阿部穂美
仕上協力:スタジオキリー、スタジオディーン、龍プロダクション、IMスタジオ、トレーススタジオM、ボビー企画、スタジオ古留美、スタジオOZ、スタジオ九魔、童夢舎スタジオシャフト、スタジオエンジェル、スタジオトムキャット、セルアーツスタジオ
撮影監督:小山信夫
撮影:ラッキーモア岡崎英夫、小沢次雄、影山篤志、伊藤真司、谷口直之、阿部雅司、大地丙太郎
音響制作:オーディオ・プランニング・ユー
音響監督:浦上靖夫
整音:大城久典
音響効果制作:E&Mプランニングセンター
音響効果:大平紀義
音響効果助手:伊藤道広
録音スタジオ:A.P.Uスタジオ
CD制作:徳間ジャパン
タイトル:高具秀雄、田上淑子
編集:瀬山武司
編集助手:足立浩
演出助手:須藤典彦
制作担当:上田真一郎
制作デスク:押切直之
制作進行:田中千義、神村篤、志茂文彦、森田吾朗、西桐共昭
キャッチコピー:糸井重里
技術協力:城西デュプロ(村尾守)、スタック(斉藤芳郎、道家正則)
協力:博報堂、アニメージュ編集部
「火乗るの墓」共同製作委員会 :八木研次郎、荒井忠彦、新田敞、初見國興、佐々木憲二、柴田静也、村瀬拓男
現像:東京現像所
DOLBY STEREO技術協力:極東コンチネンタル株式会社 森幹生
制作:スタジオジブリ
プロデューサー:鈴木敏夫
エグゼクティブプロデューサー:佐藤隆信、原徹
脚本・監督:高畑勲
配給:東宝
公開:1988年4月16日
上映時間:88分
興行収入:11.7億円
配給収入:5億9000万円


▲火垂るの墓


▲Home,Sweet Home  埴生の宿 『火垂るの墓』挿入曲 【ビクター SP盤】 Amelita Galli-Curci

【火垂るの墓・賞歴】
●日本カトリック映画大賞
●ブルーリボン特別賞
●文化庁優秀映画
●国際児童青少年映画センター賞
●シカゴ国際児童映画祭・最優秀アニメーション映画賞を受賞。同映画祭の子供の権利部門第1位に選出。
●第1回モスクワ児童青少年国際映画祭・グランプリを受賞。
●英「Time Out」誌とクエンティン・タランティーノが選ぶ第二次世界大戦映画ベスト50の第10位獲得。
●ハリウッド・リポーター選出の大人向けアニメ映画のベスト10において7位。

【火垂るの墓・反響、評価、そして父の思い出】(一部ウィキペディアより引用)
原作者の野坂さんは、映画公開前年に発表した文章「アニメ恐るべし」の中で、「いわゆるアニメの手法で飢えた子供の表情を描き得るものかと、危惧していたのだが、これはまったくぼくの無知のしるし。スケッチをみて、本当におどろいた。(中略)ぼくの舌ったらずな説明を、描き手、監督の想像力が正しく補って、ただ呆然とするばかりであった」とその緻密さに驚き、場所も含めたその描写によって自分が「眼をそむけつづけてきた」過去と「今は、少し正直に向き合っている」と記しています。

『となりのトトロ』のような楽しいアニメを見ようと映画館を訪れ、楽しいトトロを見た後に『火垂るの墓』を見て、衝撃を受ける、涙が止まらない、茫然自失で席から立ち上がれない観客が続出したと言われています( 竹熊健太郎編『庵野秀明 パラノエヴァンゲリオン』太田出版、1997年、p72)。そのため、「上映の順番を逆にしてくれればよかったのに」という声も少なくありませんでした。

当時、私は『となりのトトロ』を観て、本作を観たのですが、自分の父の幼かったころがだぶって見えました。父は昭和8年生まれでもの心ついた時に、両親を亡くし、太平洋戦争の最中、食べたくても食べれない時があって、よそ様の畑の中に入り込み食べれるものを盗んだことも、しょっちゅうあったと・・・話してくれたことがありました。学生時代、父と一緒に現場仕事で父を手伝っているときのことでした。自分の昔話を一つ一つ話してくれたのです。

上の学校にも行きたかったなあ~。もっと勉強したかったなあ~。学校の先生になりたかったなあ~。
わたしは学生時代にはアニメ、漫画にも没頭する時が多かったのですが、父は何故か一言も触れませんでした。
その父は77歳で他界しましたが、口癖のように言っていた言葉があります。

『まず、食わんとな!ほかのことはあとからついてくると(^^)』『夢をかなえてやりたいと思うのが親たい!』と。

本作の主人公、清太を観ると、父のことが思い出されてしかたがないのです。

個人的な話ではありましたが、還暦越えたジジイのひとりごとで失礼いたしました。

本作はこの上なく哀しい悲劇の物語です。人の一生には、ときとして時代という縁にふれて生き抜くことのつらさ厳しさを味わう時があります。私はこの『火垂るの墓』は限りないやるせなさ、どうしようもないせつなさを表現描写した類を見ないアニメ作品の一つだと思います。

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