10月26日(土)に400X(メビウスKZ-5)に対面してからあまりの出来事に眠れてないのですが、意を決してちょっと納車前にみなさんへ心からの感謝の一筆を。
400Xというのは2013年にHONDAからデビューしたバイクで、新型バイクでもありません。
プレ対面の前日、バイクランド社長の奥様から400Xの車両ナンバーを聞いてはいたものの、現実それをみた時、あまりのことに言葉を失いました。
実は400Xの購入を決めた時、漠然としてはいましたが、5と8の数字の組み合わせでもあたればいいかなあ~って思っていたんです。
理由は簡単。ブログタイトル『55ライダー&メビウス』からです。無限の感謝を込めての意でつけたメビウス。メビウス記号は∞です。この数字をを縦にしてください。8です。
そう私が望んだ数字は・・そう558なのです。
車やバイクを購入された方は、おわかりかと思いますが、車のナンバーというのは或る程度好みのナンバーをとることはできます。
でも、バイクの場合は順番です。選択はできません。
しかも、今年はご存じのように熊本地震でHONDAの熊本工場が生産停止もありました。正直、この400Xに固執していたわけでなく、ブログアップこそしていませんが、Ninjya400やMT-3などにも試乗しています。でも最初にみた400Xへの直感を信じて待ちました。
その558が400Xのナンバープレートに取り付けられることになったんです!
ブログタイトルそのまんまです。
社長と奥様は、私がブログを書き続けていることを知っています。また、私の周りでおきていることも話していました。
奥様は『558』をみて、55ライダーわ~い、といっていましたが、奥さんの前で8を横にして∞をみせたら、
『アッ?!、これって・・・』
『これって、凄い~~神ってるよ!!~何という奇跡なの!!』
こんな話を信じないタイプの社長も
『ナンバーもついこの前まで4桁だったはずバイ!!奇跡、奇跡や。なんか鳥肌立ってきたああ~』
私は、超能力者でもない、ただの56歳のおじさんです。
当の私は、ただプレートの数字を触りながら、幼い頃からのことを思い出して懐かしさと愛しさからこの3つの数字をなでるだけだった。
あの島原の火砕流、呑込まれた土石流の中から這い上がってきた。
失明の恐怖におびえたこともあった。
左半身が長期にわたって麻痺し、たちあがれなかったこともありました。
今は亡き父とゼロ戦パイロットだった叔父達から言い残された言葉。
「おまえはいつか旅にでたらよか!そういう境遇になれるよう頑張り!!」
「あんた、目は大事にして。私の代わりと思ってこの指輪、受取って・・愛してるよと」と命尽きるまで私のことを心配して38歳で旅立っていった、ユミ。
「先輩!!亡くなった姉さんの魂と一緒に走りましょうよ!!」絶命するまでライダーで走ることを夢見て、いつも応援してくれてたカズ。
今年、ユミの姑であり、育ての母である島原の母から受けたあの大粒の涙と言葉。
「あんたがその指輪持ってなさい。あの子のあんたを心の底から思う願いがこめられた指輪があんたをきっと守ってくれるよ。」
いつも、私を無言の愛情で支え続ける妻と子供たち、その孫たち。そして私を見守り続ける母。
そして、ものぐさな55歳のこの私が突き動かされたようにこの変てこなブログをはじめた。
思い出話を書いたとて、心の中にいつも漂う孤独感。でもいつも心のままに感じたままにその優しき心からのコメントに励まされ続けてきました。
この558のナンバーを携えた400X(メビウスKZ-5)は皆さんから感じた優しさを何かの宿縁という絆が作り上げた奇跡のバイクだと。
社長が言ってました。「これはもうバイクを超えたバイクだ・・」
奇跡のナンバーも後日アップします
1年前、55歳の私がどこまでやれるかやってみましょう!と確か記事を書いた。
そして納車を直前にして・・・
56歳の私が来年57歳になる私がメビウス2台でどこまでできるか挑戦してみましょう!!
感謝を込めてみんなさんに・・・
ありがとう・・・(^^♪
そしてこの2台のメビウスは皆さんの心の中を走り続けるバイクでもありたいと・・・
このKZ-5は、私の心の中で今も輝きを放ち続ける、わずか14歳で亡くなっていったKのイニシャルをもつ友との約束されたあの場所を必ず、めざします。
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