🎦今回ののぶさん映画録は、オードリー・ヘプバーンの『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady)です。本作 『マイ・フェア・レディ』(My Fair Lady)は、1964年制作のアメリカ合衆国のミュージカル映画です。
【マイ・フェア・レディ・本作の概要】
監督はジョージ・キューカー、主演はオードリー・ヘプバーンとレックス・ハリソンです。1964年のアカデミー作品賞ほか8部門を受賞しています。同名ミュージカルの映画化によるものです。アメリカ映画協会のミュージカル映画ベスト25での第8位に選出されています。オードリー・ヘプバーンの代表作の一つであり、最大のヒット作です。
【マイ・フェア・レディ・製作スタッフ】
オリジナル
製作 : ジャック・L・ワーナー
監督:ジョージ・キューカー
脚色:アラン・ジェイ・ラーナー
舞台監督:ハーマン・レヴィン
作詞 : アラン・ジェイ・ラーナー
作曲 : フレデリック・ロウ(英語版)
原作:バーナード・ショウ
撮影:ハリー・ストラドリング
衣装デザイン・装置 : セシル・ビートン
美術:ジーン・アレン
編集:ウィリアム・ジグラー(英語版)
音楽総指揮:アンドレ・プレヴィン
オーケストレーション:アレクサンダー・カレッジ(英語版) 、ロバート・フランクリン、アル・ウッドベリー
振付 : ハームス・パン(英語版)
タイトル・デザイン:ウェイン・フィッツジェラルド(英語版)(クレジットなし)
1994年製作30周年 ニュー・デジタル・バージョン
修復:ロバート・A・ハリス、ジェームス・C・カッツ
2014年製作50周年 4Kリマスター・バージョン
修復:ロバート・A・ハリス、FotoKem(英語版)
2019年 8Kリマスター・バージョン
レストア:FotoKem(NHKの提案による)
【マイ・フェア・レディ:ストーリー】
言語学が専門のヒギンズ教授は、ひょんなことから、下町生まれで下品な言葉遣いの花売り娘イライザをレディに仕立て上げるかどうかをめぐって、ピカリング大佐と賭けをすることになります。
怠け者のドゥーリトルが殴り込んできたりと前途多難。なかなかh音を出すことができない上、【ei】を【ai】といってしまうので、矯正のための詩「スペインの雨」がなかなか発音できません。どうにかできるようになって「踊り明かそう」を歌います。試しに淑女たちの社交場であるアスコット競馬場に行くのでした。
そんなイライザに富裕階級のフレディーは恋をしてしまい、「君住む街角で」ぶらつき歩きます。「運が良けりゃ」と歌っていたドゥーリトルは、皮肉にも金持ちになってしまう。
ヒギンズ教授は初めから義務感でつきあっていたものの、徐々に彼女のことが忘れられなくなっている自分に気づくのです。しかし、イライザは、言葉と同時に自分というものを得ていくのです。まだまだ階級社会の伝統文化が色濃く残るイギリス社会を舞台に繰り広げられるロマンティック・コメディ作品です。
👉マイ・フェア・レディ―(1964年 アメリカ 173分)
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【私の中のオードリー語録】
ー歴史に名を残す偉大な女優ー
「オードリー・ヘップバーン(Audrey Hepburn)」は、往年の映画ファンでなくとも皆が知っている偉大な女優です。『ローマの休日』や『マイ・フェア・レディ』など数々のビッグタイトルで主演を務め、アカデミー主演女優賞を始めとした多くの賞を獲得しています。
また、映画で人々を虜にしただけでなく、ファッション界のアイコンとしても知られています。くるぶし丈がキュートなサブリナパンツは、オードリーが『麗しのサブリナ』で着用したことから呼び名が定着しました。
衣装を手掛けたのは、有名ファッションデザイナーのジバンシィです。オードリーとジバンシィのタッグは、『麗しのサブリナ』以降も継続し、映画のファッションが流行を作る先駆けにもなったと言われています。女優としてもファッションアイコンとしても大きな影響を残し、歴史に名を刻んだのがオードリー・ヘップバーンです。
「私のような顔が写真に載るなんて思いもしなかったわ」
引用元 | オードリー・ヘップバーン
永遠の妖精とも呼ばれたオードリー・ヘップバーンですが、自分自身の姿については、コンプレックスを抱えていたと言われています。この言葉は、そんな彼女が女優として成功した後に残した言葉です。
当時の美しさの基準とは正反対のタイプだったオードリー。けれど、映画では欠点を魅力に変えて多くの人を虜に。ファッションにおける流行も巻き起こしたことから、映画史上、最も多く写真を撮られた女性になりました。
-人生で何をするかは真剣にー
「人生について深刻に考えたりはしないけど…私の人生で何をするかは真剣に考えているわ」
引用元:オードリー・ヘップバーン
オードリー・ヘップバーンの人生は、かなり波乱万丈です。幼い頃から辛い環境の中でも、常にやるべきことを選択してきました。第二次世界大戦中には、ドイツのオランダ占領に対する反対運動をサポートしたりもしています。終戦後に移住したロンドンでは、バレエのプリマドンナへの道を断念して、女優の道へ進みます。
しかし、彼女は人生について深刻にならない。けれど、何をすべきかは真剣に。輝かしい経歴を築いた女優業を引退した後も、オードリー・ヘップバーンの人生は色褪せることはありませんでした。
ー人生、予想どおりにはいかないものー
「オランダにはこんなことわざがあります。『くよくよしても仕方ない。どのみち予想したとおりにはならないのだから』。本当にそう思うわ」
引用元:オードリー・ヘップバーン
歴史に名を残す大女優といえども、人生で失敗することだってあります。第二次世界大戦中の栄養不足が問題で、幼い頃から習ってきたバレエでは大成しないと判断されたり、一度目の結婚も破局で終わったりしています。
人生とは、思っていた以上に予想通りにはいかないもの。でも、くよくよする必要もない。バレエから舞台へとシフトすることで女優として大成したように、悪いことが予想に反してチャンスに繋がることもあります。
ー人生、他者を優先しないのは恥ずべきことー
「母から一つの人生観を与えられました。他者を優先しないのは、恥ずべきことでした。自制心を保てないのも、恥ずべきことでした」
引用元:オードリー・ヘップバーン
オードリー・ヘップバーンの人生観を表す名言は、母親の教えから生まれたものだと言われています。オランダ貴族であった母親から大切に伝えられたのは、他者を優先すべきことと、自制心を保つこと。
聞くと簡単そうに聞こえますが、なかなか実行が難しい言葉だと感じます。しかし、何気ない日常の中でも非常時でも、心にちょっと一言留めておきたくなります。
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