🎦今日の映画録は、1960年フランス公開の『太陽がいっぱい』です。『太陽がいっぱい』(原題:Plein Soleil)は、1960年のフランス・イタリアの犯罪映画です。パトリシア・ハイスミスの小説『リプリー』を原作とした、悪者主体のいわゆるピカレスク・サスペンス作品です。
ルネ・クレマン監督の代表作と言われている作品です。音楽はニーノ・ロータが担当して主題曲は有名になりました。主な出演者はアラン・ドロン、モーリス・ロネ、マリー・ラフォレ。この作品はアラン・ドロンがフランスだけでなく、世界的なスターに飛躍するきっかけとなった作品です。
ルネ・クレマン監督は『鉄路の斗い』(1945年)で第1回カンヌ国際映画祭・国際審査員賞および監督賞を受賞しています。『禁じられた遊び』(1952年)、『居酒屋』(1956年)など、社会性が強い作品を撮り続けてきた監督です。
1999年にマット・デイモン主演で、映画『リプリー』が公開された。これは本作の再映画化だが、原作により忠実に映画化されている。しかし後半の展開が微妙に違っている。
【太陽がいっぱい・あらすじ】
ローマの街角のオープンカフェで話をする青年が二人。アメリカから来た大富豪の息子フィリップ(モーリス・ロネ) と貧しく孤独な青年トム・リプリー(アラン・ドロン)がいる。フィリップには婚約者のパリ娘マルジュ(マリー・ラフォレ) がいて、ナポリに近い漁村にマルジュと過ごすための部屋と、セーリング・クルーザーも所有している。フィリップはマルジュの傍にいるためにイタリアで遊んで過ごしている。そしてフィリップは、マルジュをほったらかしにして、トムと二人きりで飛行艇に乗りローマに遊びに来たのだった。フィリップとトムは、度のすぎる奔放な行動をするばかりだ。
しかし二人の思いはそれぞれ違う。フィリップはトムをバカにしている。トムはフィリップの父親からアメリカに連れ戻すよう依頼を受け、連れ戻せば報酬として5000ドルもらえる約束でアメリカから来たのだが、フィリップのほうはイタリアで自由奔放な暮らしを続けようとするばかりで、全く帰国する気はなく謝礼金を受け取ることが出来ないトムは手持ちの金がなくなってしまいます。フィリップの金のおこぼれをあてにして彼と行動を共にせざるを得なくなり、都合の良い「使い走り」のように扱われるようになってしまいます。境遇の違いを見せつけられるばかりである。
マルジュは以前から、フィリップが自分を大切にしていない、馬鹿にしている、と感じ、苛立ちを感じるようになっていた。トム自身だけでなく婚約者マルジュに対してまで表す傍若無人な態度に、トムの怒りと嫉妬は増すばかりだ。フィリップとマルジュが男女の情を交わしている間、自分の居場所が無いように感じたトムは、隣室のウォークイン・クローゼットに入り込み、戯れにフィリップの衣装などを身につけ、もうすっかり耳が覚えてしまったフィリップの口調の真似までするようになっていく。
フィリップはマルジュと二人きりになるために、トムに操舵を促し甲板上に行かせ、船室内でマルジュと二人きりになると、「トムをヨットから追い出して下船させれば、僕らは以前のように二人きりになれる。」とマルジュにささやきます(だがそれをトムは天窓の隙間から聞いてしまう)。フィリップは、トムをヨット備え付けの上陸用の小ボートに強引に乗せ、それをロープでヨットをはるか後方にひかせることでトムを隔離しようとする。あいにくとフィリップが船室内に戻った直後にそのロープが切れ、トムは海上に漂うボートに取り残される。フィリップとマルジュが、気付かず情事に没頭する長い時間、炎天下の海上で日干し状態にされるという屈辱を味わう。情事の後、船室から甲板上に出たフィリップは、ロープが切れてしまっておりトムを乗せたボートはどこにも見えなくなっていることに気付き、あわてて舵を切り、来た航程を引き返すが、やっとボートとその中に横たわるトムを見つけた時には、トムは太陽に焼かれ息も絶え絶えになっていた。マルジュは一応トムのことを親切に介抱するが、トムに「悪くとってほしくないけれど、タオルミナについたら一人で帰国して欲しいの。分かるでしょ?」と言う。(トムは、もしそんな展開になったら、当初期待していた報酬の5000ドルを得ることも、空想するようになったフィリップの財産を奪う計画も不可能になり、無一文のまま放りだされる状況になる、と予見する)。その後もタオルミナに向かうヨットで、フィリップがマルジュを愛撫しつつ甘美な時間をすごしつづける一方で、トムのほうは「のけもの」扱いにされ、陽にさらされる甲板上に独りで置かれる。
フィリップはトムの持ち物の中に、フィリップの銀行口座の入出金が分かる明細書が隠してあることに気付く。実はトムが自分の財産を狙っているのだと気付き、このままでは財産目的で自分は殺されると推理した。フィリップは自分の推理・直観を確かめるために、あえて普通の会話のように「ボートで死にそうになった時、僕に殺意を抱いただろ?」と訊く。するとトムは「僕はもっと以前から殺意を抱いているよ」とサラリと答える。そして二人はまるで他人事のように会話を続ける。「だから僕の口座明細を持っているのか? 僕を殺し、金持ちになるつもりか?」とフィリップ。「その通りさ。へぇ、お見通しなんだね。」とトム。「実現は難しいぞ。露見して逮捕されるぞ。」とフィリップ。「大丈夫。僕は想像力が豊かだからね」とトム。
トムはタオルミナで無一文で放り出されるという窮地に陥ることを避ける為、フィリップとマルジュの間を裂くという手を思いつき、ローマの中年女性のイヤリングをフィリップの服のポケットに入れる細工を前の晩にしていた。トムの策略にはまり、イヤリングに気付いたマルジュはフィリップが特定の女性と交際しはじめていると思いこみ、苛立ち、ささいなきっかけでフィリップと言い争い状態になり、フィリップはマルジュが執筆中の大切な原稿を海へと放り捨ててしまい二人は決裂。マルジュは下船を決意して最寄りの漁港でヨットを降りてしまう。
フィリップとトムはヨットでモンジベッロへの帰路につく。だが、マルジュが下船し周りには目撃者が全くいない海という場所で二人きりとなりフィリップ殺害計画が実行段階に入っていくのだった・・・・
【太陽がいっぱい・主な登場人物:キャスト】
トム・リプレー:アラン・ドロン
フィリップ・グリンリーフ:モーリス・ロネ
マルジュ・デュヴァル:マリー・ラフォレ
リコルディ:エルノ・クリサ
オブライエン:フランク・ラティモア
フレディ・マイルズ:ビル・カーンズ
ジャンナ夫人:アヴェ・ニンキ
ボルディーニ:ネリオ・ベルナルディ
ウエイトレス:リリー・ロマネリ
ボリス:ニコラス・ペトロフ
ポポヴァ夫人:エルヴィーレ・ポペスコ
イングリッド:ジャクリーン・ドカエ
警部補:リオネッロ・ザンキ
フレディの連れの女性:ロミー・シュナイダー
ウェイター:ルネ・クレマン
【太陽がいっぱい・製作スタッフ、公開データ】
監督:ルネ・クレマン
脚本:ポール・ジェゴフ、ルネ・クレマン
原作:パトリシア・ハイスミス
製作:ロベール・アキム、レイモン・アキム
撮影:アンリ・ドカエ
編集:フランソワーズ・ジャヴェ
音楽:ニーノ・ロータ
製作会社:ロベール・エ・レイモン・アキム、パリタリア 他
配給:ティタヌス、日本 新外映配給
公開:フランス 1960年3月10日、日本 1960年6月11日
上映時間:118分
製作国:フランス、イタリア
言語:フランス語、イタリア語、英語
配給収入:1億2441万円 日本
👆「太陽がいっぱい」サウンド・トラック
【太陽がいっぱい・感想】
アランドロンの雰囲気と洗練されたファッションが、全く時代の古さを感じさせない。1960年の映画とは、思えない。
またストーリーと哀愁漂う映像と、綺麗な情景シーンが素晴らしいと思います。
ニーノ・ロータの名曲と共に、アラン・ドロンの出世作としても有名な作品です。監督のクレマンは、ドロンの起用に乗り気じゃなかったと伝えられている話もありますが、やはり、これはアラン・ドロンが居てこその作品だと思います。
アラン・ドロンという人の大きな個性は、甘い端正なマスクに、一言で表現が難しいけど、どこか不良じみた雰囲気。そこが女性の母性本能をくすぐるんのだろうと思います。そこが、どこにでもいる二枚目俳優とちょっと一味違う俳優さんだと個人的には感じます。
観る人によれば、ちょっとかったるい作品に感じるかもしれません。これは、ハリウッド映画ではなく、フランスの映画なのです。ということを一言添えておきます、ハリウッドという所は全世界を相手のビジネスを展開しているので、世界中の子供から大人まで、誰が見ても解るように作り、全てに答えを出していくのが基本なのだと思います。フランスを含めヨーロッパの映画作品には、8割くらいを描写して2割は鑑賞する人の創造にゆだねるという雰囲気があります。
そういった意味の中で、名作だと思います。
ちなみに私達ぐらいの年代世代であればご記憶のかたも多いとは思いますが、アランドロン氏は日本のCMにも出演していた人気の俳優です。
👆ダーバン1971
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