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世界の坂本、映像に命を吹き込む『ラスト・エンペラー』

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🎦今日ののぶちゃんの映画録は、1987年に公開された『ラスト・エンペラー』(英: The Last Emperor、中: 末代皇帝、伊: L'ultimo imperatore)です。『ラストエンペラー』は、イタリア・中華人民共和国・イギリス・フランス・アメリカ合衆国の合作による、清朝最後の皇帝で後に満洲国皇帝となった愛新覚羅溥儀の生涯を描いた歴史映画です。
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【ラストエンペラー・作品の概要】
溥儀の自伝『わが半生』が原作となっています。ベルナルド・ベルトルッチ氏が監督、脚本を務めました。メインキャストの溥儀の青年以降の役は、香港生まれの中国系アメリカ人俳優のジョン・ローンが演じました。

西太后による溥儀への清朝皇帝指名と崩御を描く1908年からスタートし、所々に第二次世界大戦後に建国された中華人民共和国での「戦犯」収容所での尋問場面を挟みつつ、中華民国の下での皇帝と、日本の協力を得て満洲国の皇帝になり、退位しソビエト連邦に抑留された後、文化大革命のさなかに一市民として死去する1967年までの出来事をメインに溥儀の人生を描いています。

本作の特長として、歴史的事実には重きをおかず、大胆な創作も随所に盛り込まれています。清朝及び満洲国を舞台にした映画ですが、中国系アメリカ人俳優が主なキャストを占めており、主な台詞は英語であったり、独自の脚色が多くなっています。
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当時、故宮で世界初のロケーションを行われたことが公開前から大きな話題を呼びました。観光名所として一日5万人が訪れる故宮を、中国共産党政府の全面協力で数週間借り切って撮影が行われています。色彩感覚豊かなベルトルッチの映像美は圧巻の一語に尽きると高い評価を受けました。特に故宮太和殿での即位式の荘厳、華麗なシーンは映画史に残る有名なシーンとなりました。

第60回アカデミー賞作品賞並びに第45回ゴールデン・グローブ賞 ドラマ部門作品賞受賞作品です。また本作で一方で、他にも中華人民共和国で同じテーマの映画やテレビドラマが作られた上、当時は同国政府による外国映画の上映・放映規制が現在より厳しかったこともあり、アカデミー賞作品賞を受賞した作品であるにもかかわらず、映画の舞台となった中華人民共和国での知名度はそれほど高くはありません。
後に219分のオリジナル全長版もVHSやDVD、ブルーレイのソフトで発表された。2011年からは2年をかけて劇場公開版フィルムが全面修復されています。2013年のカンヌ国際映画祭で「3D版」として公開され、イタリアにてブルーレイ化されました。
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【ラスト・エンペラー:あらすじ】
1950年、第二次世界大戦の終結による満洲国の崩壊と国共内戦の終結により、共産主義国である中華人民共和国の一都市となったハルビン駅の構内。5年間にわたるソビエト連邦での抑留を解かれ、中華人民共和国に送還された「戦犯」達がごった返すなか、1人の男が洗面所で自殺を試みる。その男は、監視人の手により一命を取り留めるものの、薄れ行く意識の中で幼い日々の頃を思いだす。

この男こそ、清朝最後の皇帝にして満洲国の皇帝であり、紀元前以来から続く中国王朝の最後の皇帝たる「ラスト・エンペラー」、すなわち、愛新覚羅溥儀である。

1908年11月14日、北京。清朝第11代皇帝・光緒帝の崩御に伴い、清朝の最高実力者として君臨してきた西太后は溥儀を紫禁城へ呼び出す。事態を察知した溥儀の実母福晋幼蘭は、乳母のアーモに溥儀を託す。物々しい様子の宮中で、溥儀は動じることなく、無邪気に「お家に帰れる?」と繰り返すばかり。瀕死の西太后は、溥儀を皇帝に指名して崩御する。即位式の日、家臣たちが新皇帝に拝礼する最中、溥儀はコオロギの鳴き声を追って列中を歩き回る。そして居場所を突き止めると、コオロギを入れ物ごと教育係の陳宝琛から譲り受ける。

再び1950年、一命を取り留めた溥儀は、中華人民共和国の戦犯として撫順の政治犯収容所に送られる。収容所長は溥儀を助けた男だった。そこで待っていたのは「戦犯」としての自己批判の強要や要人の立場を奪われた生活習慣だった。そこで溥儀は強い口調で詰め寄る尋問官や厳しくも善良な所長を相手に、孤独で不遇だった私生活を「すべては、儀式でしかなかった」と振り返り、過去を回想する。
収容所で、実弟の溥傑と再会する。紫禁城を出ることが認められず、宦官ら大人にかしずかれて育った溥儀にとって、溥傑は初めて出会った同世代の子供であり、大切な存在となった。しかしながら、乳母のアーモからは依然として乳離れできず、溥傑の目を盗んでアーモの乳房に顔をうずめる。その様子を、先帝の妃(太妃)たちが見ていた。
ある日、溥傑が皇帝しか許されないはずの黄色い衣服を着ていたことから、兄弟喧嘩となる。溥傑は「兄上は皇帝じゃない」と言い、すでに辮髪もしない洋服の新しい「皇帝」がいると話す。溥儀は皇帝である証明に、宦官に命令して墨汁を飲ませるが、溥傑は自動車に乗った大総統袁世凱が、新たな皇帝として君臨する姿を見せる。ショックを受け、宦官らに問いただすが誰も事実を言おうとせず、ようやく教育係の陳から「紫禁城の外では皇帝ではないが、紫禁城の中では皇帝である」と説明を受けるのだった。そしてアーモは太妃たちによって紫禁城を追放され、溥儀は強引に駕籠に乗せられた彼女を必死で追うが、見失う。アーモは乳母以上に、初恋の女性だった。
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再び1950年代、収容所所長は溥儀の過去を知るため、家庭教師だったレジナルド・ジョンストンが記した『紫禁城の黄昏』を開く。学生のデモ(五四運動)で物々しい北京市街を経て、ジョンストンは紫禁城へ赴く。城内は城外と打って変わって旧態依然のまま、伝統や慣習がそのまま息づいていた。10代になった溥儀は知的好奇心旺盛で、盛んに城外へ出たがっていた。ジョンストンは家庭教師として、勉強だけでなく城外の知識や常識を溥儀に与え、溥儀にとって信頼できる師となる。

1921年、溥儀の実母が逝去し(アヘンを飲み込んでの自殺)、溥儀は母や弟に会おうと自転車で城外へ出ようとするが、衛兵に妨げられる。さらに城外へ出ようと屋根に上った際、視力の低下に気づき、西洋人の医師から「眼鏡をかけないと失明する」と診断される。太妃や内務府大臣は反対するが、ジョンストンは眼鏡を認めないなら、紫禁城の腐敗を新聞を通じて世界に伝えると言い返す。
眼鏡を認められた溥儀が最初に見たものは、お妃候補たちの写真であった。しかし溥儀の意向は通らず、太妃たちによって17歳の婉容が皇后に、12歳の文繡が淑妃(第2皇妃、側室)に選ばれる。婚礼が行われ、婉容と文繡は友情を結ぶ。溥儀は婉容を古風な女だと思っていたが、実際には溥儀の理想通り、「モダンな妻」であった。溥儀は2人でオックスフォードへ留学したいという夢を語り、婉容も彼を気に入り好きになりそうだと、互いに好印象を抱く。

再び1950年代、溥儀は日本と接近した経緯と理由を激しく詰問される。成長した溥儀は、もはや脱出ではなく改革を志すようになっていた。その始まりは断髪と、宦官らの不正を露呈させるための美術品目録作成であった。ある夜、不安を感じた婉容は自ら溥儀の寝所を訪れる。さらに文繡も現れ、3人で仲睦まじく過ごすが、屋外では炎が燃え盛っていた。一部の宦官らが、証拠隠滅のため宝物殿に放火したのであった。溥儀は激怒し、共和国軍の支援も得て1000名以上の宦官を全て追放する。
日本への接近が決定的となったのは1924年、北京政変だった。溥儀を対象としたクーデターで、溥儀ら一族は1時間以内の退去を命じられる。ついに溥儀は紫禁城を離れることとなった。ジョンストンはイギリス大使館へ連絡して庇護を求めるが、国際問題になることを恐れ受け入れず、結局溥儀に手を差し伸べたのは、同世代の天皇もおり親近感もあった大日本帝国のみだった。
日本の庇護下、天津での生活は、総じて楽しいものだった。溥儀と婉容は「ヘンリーとエリザベス」となり、社交界でも注目の的だった。一方、文繡は紫禁城の外では社会的に妻として認められず、孤独な思いから離婚を望んでいた。ダンスパーティーの最中、蔣介石の上海制圧のニュースが伝えられ、居合わせた欧米人らが拍手喝采する中、輪から外れた溥儀らに甘粕正彦が「日本公使館へお越し下さい」と誘いかける。文繡は車中で離婚の意思を告白し、混乱の中ついに出奔する。文繍と入れ替わりに、友を失った婉容の護衛のため「東洋の宝石」こと川島芳子が現れる。彼女は溥儀の遠縁であり、あらゆる情報に通じていた。彼女は清朝の陵墓が国民党により盗掘され、西太后の遺体が切り刻まれたというニュースをもたらし、溥儀を憤慨させる。そして芳子は、婉容にアヘンを勧める。
再び1950年代、溥儀が自発的に満洲国皇帝になろうとしたか否か、激しい尋問が行われる。溥儀自身は告白には「日本に誘拐された」と記したが、ジョンストンは『紫禁城の黄昏』に溥儀が望んだと記していた。そして、かつて使用人であった大李も天津出立前日の荷造りを告白していた。当時、溥儀は満洲国の支配者の家系に生まれた自分抜きで満洲国の成立はあり得ないと考えていた。清朝復活に魅かれる溥儀に対し、婉容や陳宝琛は慎重な姿勢を示す。所長は事実を思い出せ、と『紫禁城の黄昏』を溥儀の目の前に置く。

1934年に、溥儀はついに満洲国皇帝となる。即位を祝う舞踏会の最中、婉容は涙を流しながら蘭の花を食べる異常な様子を示す。溥儀は婉容をたしなめるが、彼女は溥儀には日本の傀儡でしかない現状が見えていないと言い、何故もう自分を抱かないのか抗議する。溥傑の横で客人から挨拶を受ける嵯峨浩が身重なのを見やり、自分も彼女のように子供が欲しいと訴える。溥儀は婉容を抱かないのはアヘン中毒が理由だと説明し、訪日にも連れて行かないと告げる。宴を中座した婉容は、芳子の導きでアヘンと同性愛関係に溺れる。

日本で歓迎を受けた溥儀が帰国すると、満洲国内の様子が異様な状態となっていた。禁衛隊は武装解除され、国務総理大臣鄭孝胥は息子の暗殺を機に辞職に追い込まれ、代わって軍政部大臣張景恵が関東軍の推薦の元、溥儀から後任の承認を得ようとしていた。御前会議の場で、溥儀は自分のあずかり知れないところで決められていた張の首相就任を認めないばかりか、諸外国からも承認されつつある独立国として日本のみならず各国と対等な関係を築こうと話すが、甘粕、吉岡や関東軍の息のかかった大臣たちは次々に退席する。
出席者が誰もいない晩餐会の席で、婉容は溥儀に懐妊を告げる。相手は満洲人の男で、溥儀のためにもなると話す。そこへ甘粕と吉岡が現れ、張首相任命承認のサインをするよう迫る。溥儀は皇后の懐妊を告げ、強気に出るが、甘粕は逆に相手の男の名を溥儀に教える。溥儀は承認のサインをせざるを得なくなり、以後も日本に有利な内容の勅令を承認させられ、傀儡となることを余儀なくされる。やがて婉容は出産するが、生まれた子はすぐ殺害され婉容は静養のため皇宮を離れる。

溥儀は彼女を必死で追うが、婉容を乗せた車が出た直後、宮殿の門は溥儀の目の前で閉ざされた。その様子を見ていた甘粕と芳子は指を絡めあうのだった。その晩、相手であった溥儀の運転手は密かに暗殺された。
再び1950年代、戦犯たちに対し中国共産党視点での歴史映画が放映される。大日本帝国は満洲で侵略の足場を固め、上海での無差別爆撃、南京での20万人以上の虐殺、真珠湾奇襲、そして満洲における細菌戦のための人体実験にアヘン生産――満洲国皇帝として日本の傀儡に甘んじる自分の映像が流れたとき、溥儀は思わず立ち上がる。

1945年8月15日、日本の敗戦により、満洲国は滅亡し、溥儀は再び皇帝を退位した。甘粕は拳銃で自決し、溥儀は溥傑の勧めにより日本への亡命を図る。皇宮に戻ってきた婉容と再会するが、アヘンの中毒症状で変わり果てた姿の彼女はもはや溥儀と顔を合わせようとはしなかった。そして亡命の途上、侵攻してきたソ連軍に捕えられたのであった。
溥儀は、共産党政府が用意したあらゆる「告白」に一転して署名を行った。その中には溥儀が知るはずのなかったハルビンでの生体実験に関するものもあった。そんな溥儀に所長は自分のしたことにだけ責任を取るように注意し、「今度は卑屈になるのか」と詰るが、溥儀は「私を自殺から助けたのは、あなたたちも私を利用したいからだろう」と言い返した。所長は「利用されるのはそんなにいやなことか」と、溥儀の心情の変化を感じ取っていた。1959年に特赦令第一号により、溥儀は収容所を出所する。1967年、文化大革命の嵐が吹き荒れようとしていた折、一介の庭師として植物園に職を得ていた溥儀は、紅衛兵のデモの中に罪人として引き回され晒し者にされているかつての収容所所長の姿を見つける。紅衛兵に話しかけ懸命に庇おうとする溥儀であったが、徒労に終わり所長は連れ去られていく。

溥儀はその足で街をさすらい、博物館として一般公開されている紫禁城へと向かっていた・・・
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『ラストエンペラー』懐想記
本作の上映時間は、劇場公開版で163分、オリジナル全長版になると219分にも及ぶ歴史映画です。作品の概要にも記してある通り、かなり大胆な創作が盛り込まれています。
今の中国政府が何故に欧米日本を過度に敵視するのかを歴史的事実から学ぶには良い芸術的な反戦映画ともいえるのかもしれません。英国とのアヘン戦争で中国民がボロボロにされ、その後に登場するラストエンペラーの溥儀の生涯の物語。

ストーリーの中心は昭和の大日本帝国が、一方的に中国に侵攻し満洲国を設立して関東軍が統治していた不公平な悪事を描いていると云えます。そして広島への原爆投下によって中国は日本の侵略から解放されて勝戦国となったと解説するシーンまであります。日本帝国軍は自業自得?坂本龍一が演じる満洲国最高権力者の甘粕正彦が叫ぶ「アジア諸国は日本が統治するのに相応しい!」これではナチスドイツと同じ非人道的ならず者国家であったと世界中に印象を持たれても仕方ないとさえ感じます。本作はあくまでも反戦の映画であり、人間の人生のはかなさ、虚しさまでもが巧みに描かれています。

紫禁城の中で子供の溥儀が無邪気に走りまわる姿。そして、成長するに伴い自分は何者なのかを向き合っていかなければならなくなる。あまねくこの星に生まれた私達人間に与えられた1日の時間も同じである。その一生の中で、生まれてきた時代、環境によって一人一人の人生はまったく違ったものになっていきます。
ラストエンペラーと呼ばれた溥儀の人生。彼は自分に与えられた環境の中で、彼なりに必死に生きていたのであろうと考えさせられる映画です。

主役皇帝役のジョン・ローンは、全身全霊を投じた様な演技が存在感も有り素晴らしいかったと思います。合わせて作品全体に流れる美しい音楽は、とても素晴らしいです(坂本龍一とデビット・バーン、蘇聡の映画音楽は、まさにその映像に命を与えているような威光を放つ傑作と思います)。
第60回アカデミー賞作曲賞を受賞したのも、充分納得できます。まだ未視聴のかた、本作に懐かしく再見したい方も是非。

個人的には、歴代映画史上の中で長編大作の30傑に入る作品だと思います。👍
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【ラストエンペラー・配信先(U-NEXT)】
『ラストエンペラー』
(1987年、イタリア・中華人民共和国・イギリス・フランス・アメリカ合衆国、162分、字幕、見放題)
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【ラストエンペラー・製作スタッフ、公開データ】

  • 監督:ベルナルド・ベルトルッチ
  • 脚本:ベルナルド・ベルトルッチ、マーク・ペプロー
  • 製作:ジェレミー・トーマス
  • 製作総指揮:ジョン・デイリー
  • 出演者:ジョン・ローン、ジョアン・チェン、ピーター・オトゥール、英若誠、坂本龍一、ケイリー=ヒロユキ・タガワ
  • 音楽:坂本龍一、デイヴィッド・バーン、蘇聡

👆映画「ラスト・エンペラー」 ♪エンディング・テーマ サウンドトラック
  • 撮影:ヴィットリオ・ストラーロ
  • 編集:ガブリエラ・クリスティアーニ(イタリア語版)
  • 製作会社:レコーデッド・ピクチャー、ヘムデール・フィルム
  • 配給:アメリカ合衆国 コロンビア ピクチャーズ、日本 松竹富士
  • 公開:アメリカ合衆国の旗 1987年11月20日、日本 1988年1月23日
  • 上映時間:163分(劇場公開版)、219分(オリジナル全長版)
  • 製作国:イタリア 、中華人民共和国、イギリス、フランス※1、アメリカ合衆国※2
  • 言語:英語、中国語、日本語
  • 製作費:$23,800,000
  • 興行収入:アメリカ合衆国 カナダ $43,984,230※3
  • 配給収入:日本 24億5000万円※4
※1 “The Last Emperor”. LUMIERE(リュミエール・データベース). 欧州オーディオビジュアル・オブザーバトリー. 2020年4月2日閲覧。
※2“The Last Emperor (1987)” (英語). IFFANMACAO. 2023年5月1日閲覧。
※3 “The Last Emperor (1987)” (英語). Box Office Mojo. 2023年5月1日閲覧。
※4『キネマ旬報ベスト・テン85回全史 1924-2011』(キネマ旬報社、2012年)470頁
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のぶちゃん

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