※本ブログでは記事中に広告情報を含みます
劇中では、「1954年のゴジラ出現から30年ぶりにゴジラが現れた」という設定で、いわゆる昭和ゴジラシリーズと呼ばれるシリーズ第2作から第15作とはストーリーが全く繋がっていません。そのため、本作品以降のゴジラは、再び破壊を繰り返す人類の敵として描写されています。タイトルが同一であるほか、東京を襲撃するゴジラなど1954年第1作『ゴジラ』を踏襲しているが、リメイク作品ではありません。次作『ゴジラvsビオランテ』以降は平成期の作品であるため、本作品は昭和期に公開された最後のゴジラ映画である。昭和の作品にはなりますが、後作との世界観の繋がりから平成シリーズとして紹介されることが多くなっています。タイトルは、公開前には『GODZILLA』と発表されていたが、最終的に第1作と同じ『ゴジラ』となりました。ビスタサイズ、ドルビーステレオ音響がゴジラ映画としては初めて使用されている。
👆The Return of Godzilla (1984) - OST: Main Title
【ゴジラ(1984)・ストーリー】
伊豆諸島の大黒島噴火から3か月後、付近をヨットで航行していた新聞記者の牧吾郎は、行方不明となっていた漁船「第五八幡丸」を発見し、船内で謎のミイラ化した船員の死体と、体長1メートルほどもある巨大なフナムシに襲われる。牧に救出された船の唯一の生存者である奥村宏は、遭難の際に怪光を発して崩壊する大黒島の中から咆哮(ほうこう)と共に現れた巨大生物を見たと証言する。奥村の恩師でもあり、林田生物学研究所長の林田信は、巨大生物が大黒島噴火で目覚めたゴジラであることを確信した。
謎の巨大生物の特ダネをものにしようとしていた牧は、パニックを恐れた政府の報道管制によって活動ができない。代わりに林田との独占的な接触が許された。林田の研究室で手伝いをしていた奥村の妹・尚子に好意を感じた牧は、奥村がすでに救助されていながらゴジラの情報隠蔽のために軟禁されている事実を流すが、病院での兄妹の再会を「取材」してしまったため、尚子の反感をかってしまう。そのころ、日本近海を航行していたソ連の原子力潜水艦が撃沈されるという事件が発生する。アメリカは関与を否定したが、ソ連はアメリカの攻撃と断定し、両国軍は臨戦態勢に突入する。東西関係に緊張が走る中、自衛隊のP-3C哨戒機が捉えていたソ連原潜の撃沈された際の海面写真を分析した結果、原潜の撃沈はゴジラの襲撃によることが判明する。この報を受けた日本政府は世界の東西陣営の衝突回避のため、ゴジラ報道の全面解禁に踏み切る。
その直後、静岡県の井浜原子力発電所にゴジラが出現する。ゴジラはヘリコプターで現地へ赴いていた林田の目の前で原発施設を破壊し、原子炉の炉心を取り出して放射線をすべて吸収すると、頭上を飛んでいた渡り鳥に吸い寄せられるように海へ去っていく。林田は、渡り鳥の発する超音波にゴジラの体内の磁性体が反応して帰巣本能を刺激されたと考え、合成した超音波によってゴジラを三原山へ誘導し、人工的に噴火させた火口へゴジラを落とすという作戦を日本政府に提案する。
一方、アメリカとソ連は日本政府に対し、ゴジラへの戦術核兵器の使用を強く要請する。特にソ連は原潜撃沈の報復を主張し、アメリカもソ連に同調していたものの、三田村首相は非核三原則の立場からそれを拒み続ける。首相の尽力で米ソによる対ゴジラ核攻撃の危機は回避されるが、日増しにゴジラ東京上陸の可能性が強まる中、政府も新兵器の首都防衛戦闘機「スーパーX」をはじめとする対ゴジラ兵器や、林田の提案したゴジラ誘導作戦の準備にかかっていた。
やがて自衛隊の厳重な警戒下の中、ついにゴジラが東京港へ出現する。自衛隊は総力を挙げてゴジラ迎撃に当たるが、航空攻撃も陸上部隊による攻撃も何ら効果もない。埠頭に展開していた陸上自衛隊部隊もゴジラの放射熱線によって壊され、ゴジラの東京上陸を許してしまった。さらにその戦闘の最中、東京湾に停泊していたソ連の貨物船に搭載されていた地上攻撃用衛星の核ミサイルコントロール装置がゴジラの移動の余波によって誤作動し、核ミサイル発射のカウントダウンが始まってしまう。30年前の悪夢をたどるかのごとく、ゴジラは街を破壊していく。新宿の研究所でゴジラを誘導する超音波発生装置をようやく完成させ、伊豆大島へ向かおうとした林田らは、ゴジラと自衛隊の戦闘の巻き添えによってビル内に閉じ込められてしまう。
👆ゴジラ84' 自衛隊曲集
そして、ついに陸上自衛隊幕僚監部付実験航空隊首都防衛移動要塞T-1号スーパーXが出撃してゴジラの放射熱線に耐え、核反応を抑制するカドミウム弾を使用してゴジラを新宿で昏倒させる。林田もこの隙に伊豆大島へたどり着くが、カウントダウンの進んでいたソ連の衛星が、ゴジラに向けて核ミサイルを発射してしまう。ソ連から自国の能力では対処不可能との連絡を受けた日本政府は、アメリカに核ミサイルの緊急迎撃を要請する。
新宿では奥村が自衛隊のヘリコプターで林田らを迎えに来るが、不安定な新宿の高層ビル街の乱気流により、林田と超音波発信装置を引き上げるのがやっとだった。残された牧と尚子は目の前で眠るゴジラと、迫り来る核ミサイルの恐怖に戦慄する。そのころ、アメリカ軍の迎撃ミサイルがソ連の核ミサイルの撃墜に成功する。新宿都心での核爆発という最悪のシナリオは回避されたが、核爆発自体は回避できず、成層圏での高高度核爆発による電磁パルスが発生してしまう。この現象によって東京に大規模な停電を引き起こす。ようやく停電の混乱から復旧しようかと思われたそのとき、高濃度の電磁雲によって発生した落雷のショックでゴジラが覚醒してしまう。再びスーパーXが応戦するが、もはや通常兵器でしか攻撃の手段がないことから太刀打ちできず、撃墜されてしまう。辺りが炎の海と化す中、戦いの最中に破壊されたビルからの脱出を図っていた牧と尚子にゴジラが迫ったところで三原山の超音波発生装置が起動する。
ゴジラは東京を後にして三原山へ向かい、人工的に噴火させられた火口へ咆哮を上げながら落下してゆくゴジラ・・・・・
【ゴジラ・キャスト】
(以下ノンクレジット出演者)
★『ゴジラ』(1984年)・感想レビュー
のぶさんの映画録では、時系列的に1980年代中頃の作品を紹介していますが、この頃は映画界も活況を呈していた時代で、個人的に勝手に3G作品『グレムリン』『ゴーストバスターズ』『ゴジラ(1984)』と勝手に呼んでます。今回紹介している『ゴジラ(1984)』は、日本の東宝映画が製作した作品ですが、この作品のヒットがのちにゴジラがハリウッド上陸へのきっかけを作った作品ということでご紹介しています。
本作ゴジラシリーズ第16作となる『ゴジラ』(1984)は、1954年に公開された最初の作品『ゴジラ』の直接の続編であり、かつて東京を壊滅させたゴジラが再び姿を現したというストーリーです。そのため、ゴジラシリーズとしては2作目にあたる『ゴジラの逆襲』から、15作目『メカゴジラの逆襲』に至るまでのストーリーも一切なかったものとして扱われています。一方、本作は5年後に公開された第17作『ゴジラVSビオランテ』と直接つながっており、平成ゴジラシリーズと呼ばれる一連の作品群のはじまりを築いた作品となっています。
昭和期最後のゴジラ作品である『ゴジラ』(1984)の最大の特徴は、ゴジラが全人類の敵であるという点です。それまでのゴジラは初代『ゴジラ』を除いて、ほかの怪獣と戦うゴジラ、あるいは人間の味方としてのゴジラの姿を描かれていました。本作では、このイメージを排除し、初代『ゴジラ』のように怪獣が人間社会を蹂躙するという、パニック映画としてリアリティーをもって描写しています。もちろん、公開されてから39年。現在のようなCGやSFX技術と比べると見劣りはするものの、現在視聴しても当時の国際情勢や特に自衛隊の活躍する描写は遜色のないものとなっています。
しかも、ゴジラがさらに、核という人間の業を背負った存在として再び描かれているのも、本作の特徴のひとつです。公開時の1980年代はちょうど東西冷戦によって核の存在がシビアに捉えられながらも、高度経済成長によって人々が沸き立っていた時代でもありました。こうした時代において、反核を反映させながらも、もし日本にゴジラのような生物体が出現したらどうするかというもしもの世界を描写したのが『ゴジラ』(1984)なのです。
また本作の製作にもこだわりがあります。監督は本編と特撮でそれぞれ担当を分けており、本編を橋本幸治さんが担当しています。橋本さんは過去のゴジラ作品のうち、『キングコング対ゴジラ』、『ゴジラ・ミニラ・ガバラ オール怪獣大進撃』でそれぞれ助監督を務めました。一方、特撮は中野昭慶さんが担当。ゴジラを演出には肉体のぶつかり合いが大事だということで、本作でも熱線はタイミングを絞って使用しています。しかも、本作の音楽は、初代『ゴジラ』をはじめ多くの楽曲を提供してきた伊福部昭さんではなく、オーディションによって選出された小六禮次郎さんが担当しています。伊福部の楽曲がないことに物足りなさを感じるという声もありますが、その後のゴジラ作品における自衛隊の威風堂々とした様子をよく表現しているといえると思います。本作の物語の中心には、新聞記者である牧吾郎と、ヒロインである奥村尚子とのロマンス的な要素もありますが、それ自体はゴジラの脅威を演出するための1要素であり、二人の物語が大して面白いわけではありません。しかも、当時の沢口靖子さんの演技は、お世辞にも上手いとはいえません。でも、沢口靖子さんの可愛さは、さすが当時の東宝のニューフェースです。
むしろ、本作をパニック映画として見応えがあるのは、米・ソ連との駆け引きを行いながらも、ゴジラに正面から立ち向かう日本政府の存在が大きいといえるでしょう。ゴジラの登場で日本だけではなく世界にも緊張が走り、アメリカとソ連が日本へ介入してくる様子は、冷戦末期である当時の国際情勢も踏まえたつくりといえます。両国の介入に対して、毅然とした態度で牽制する一方、専門家とゴジラへの対策を講じる日本政府。その一連の様子は多少の粗さは感じますが、細部にまでこだわりが感じ、観客を引きつける魅力があります。当初、日本政府はゴジラの存在を国民に伏せています。それもそのはず、情報を公開すれば日本全体がパニックになるのは目に見えているからです。
通常攻撃では歯が立たないゴジラに対し、アメリカやソ連は日本国内での核の使用を訴えます。けれども、首相の三田村は非核三原則を盾として、日本での核の使用は認められないと、アメリカやソ連の要望を拒否。ゴジラを仕留め損なった場合、次に狙われる可能性がある立場のアメリカやソ連からは、三田村の行動がエゴイズムだと批判されることになります。しかし、三田村は核を使いたがることもまた、エゴイズムだと反論します。冷戦下における核とゴジラ。2つの脅威から自国を守ろうとする政府の舵取りと、毅然とした態度で他国へ主張する日本の姿が強調されているのが印象的だと思います。
そして、ゴジラと人間の戦いにおいて、自衛隊の存在は欠かせないといえます。その自衛隊の存在は非常に細かく描かれています。特に、東京湾上陸に備えて湾岸で自衛隊が交戦準備を進めているシーンは、一見の価値があるでしょう。幾人もの隊員が準備に追われつつも規則正しく動き回り、トラック型の指揮車両がゴジラに関する情報収集を行う様子には、実際にあるかもしれないと思わせるような雰囲気があります。確かに、ゴジラと自衛隊が実際に交戦している様子も見応えはあります。サーチライトを照射しながら大量のミサイルを打ち込むものの、ゴジラに傷ひとつ付けられない戦車隊や戦闘機。それらが逆に熱線でなぎ払われていくシーンは、人間の無力さをよく描写しているといえるでしょう。しかし、交戦以外のシーンまで詳細に描くことによって、作中における自衛隊が架空の防衛軍ではなく、実在の軍隊として強いリアリティを持って浮かびあがります。こうした流れから、以降のゴジラシリーズでも自衛隊や特殊部隊の様子が細かく登場するようになります。実際に作中で「自衛隊」という名称が使われるようになったのは、本作『ゴジラ』(1984)からです。それまでは防衛隊や防衛軍といった名前で登場しています。
本作は、パニック映画としての手堅い作りや、怪獣出現時の日本政府の行動をそれなりに詳しく描いている点は、過去のゴジラ作品とは一線を画しているといえます。そして、超兵器でもって立ち向かう自衛隊の姿を提示した点は大きく、昭和最後のゴジラ作品として、また平成ゴジラ作品の元としてふさわしい一作となっています。
動画配信先:U-NEXT
★『ゴジラ』
(1984年、103分、見放題)
👇バナー画像をクリックで視聴できます。U-NEXT会員登録済みの方であればそのまま視聴できます。会員登録がまだの方であれば、登録後視聴できるようになります。31日間無料トライアルがありますので、その期間中に視聴解約すれば料金はかかりません。
【ゴジラ・製作スタッフ、公開データ】
特別スタッフ
(B班スタッフ)
特殊技術
公開データ
👆ゴジラ・愛のテーマ/ザ・スター・シスターズ/Godzilla - Love Theme/The Star Sisters
★最新の配信状況はU-NEXTサイトにてご確認ください。
本記事バナー広告クリックからU-NEXTサイトへ。
【無料トライアル】
お申込みから31日間、月額プラン利用料(2,189円)が無料でお試しいただけるキャンペーンです。
特典として、最新作のレンタルやマンガの購入に使える600円分のポイントもプレゼントしています。
PR
のぶちゃん
子供の頃からアニメ・映画は大好き。懐かし作品で心癒しましょ💛
紅のバイクを跨いでいますよ🏍
コメント