
ヤマト(TVシリーズ第一作関連)の動画をみますが、上記のYouTube配信動画は、画質が上質であります。敬礼。名シーンです👍ヤマト発進シーン。このシーンにすべてが集約され表現されていると言っても過言はないと思います。すべてが手描きの時代、迫りくる超大型ミサイルを撃破すべく、ヤマト第一、第二、第三砲塔のすべてを軸線に乗せる時の砲門連動描写もすべてが手描きのアニメーションだ。発射してヤマトが、グッと船体を右に傾け、炎の中から赤茶けた地球を背にイスカンダルに向けて旅立っていく。名シーンだ・・・
👆そして、この方、ヤマト沖田艦長である。この艦長のあきらめない精神には、脱帽である。この作中で、意外と沖田艦長と個の登場人物との会話は意外と少ない。多くは命令、指示調子である。ガミラスドメル艦隊との決戦において、かろうじて勝利を得たヤマト艦長にガミラスのドメル将軍は『あなたの勇気と決断と知恵に敬意を表する。ガミラスと偉大なる地球に栄光あれ!!』と宇宙に散っていった。過酷な状況の中でもヤマトとその仲間がいる限り、絶対にあきらめない姿に、当時私は中学生でしたが、若者を中心に今までになかった人類再生のドラマに酔いしれたのです。
終戦後、日本は敗戦という苦難から私たちの親は、何とか子供や家族のために、これからのためにと頑張る姿を高度成長期を親の背中をとおして見ていました。こうした経済成長期の中、社会では共働きによる鍵っ子とか生み出し、寂しい環境の子供もたくさんいた。
本作ドラマのラストで沖田艦長が『地球か、何もかもみな懐かしい・・・』と家族の写真を握っていた拳も力尽き果てる。この沖田艦長の今できることのすべてをやり尽くす姿に、単純なSFドラマを越えていると感じたものです。本作『宇宙戦艦ヤマト』を観ると、失敗してもあきらめない。必ず人生って再生できるのだというどこか温かいメッセージのようなものを感じたのは私だけであろうか。『宇宙戦艦ヤマト』テレビシリーズ1作の作品には、そんな空気が漂っている。
これはもう大人のドラマである。人生の中で、必ず再生できると信じて不屈のドラマを、当時のアニメーター達の皆さんをはじめ、多くのクリエイターさんたちも手描きでやり上げてアニメーションの世界の中に落し込んでいったのです。だからこそ、当時は粗削りな作画でも、今までになかった作品を創ろうとする情熱だけで制作できたのです。日本では大成功を収めた高いクオリティーで大切にされているドラマだと個人的には感じています。
👆故 宮川泰氏(1931年3月18日~2006年3月21日)
そして絶対、ヤマトで語られるべきは、音楽であると思います。音楽を担当した宮川泰さんは、このアニメドラマにオーケストラを持ち込みました。そして名曲『宇宙戦艦ヤマト』が誕生しました。『イスカンダル』や『無限に広がる大宇宙』「元祖ヤマトのテーマ』などオーケストラミュージックで見事本作品を演出しきったのは、お世辞でなく、もう神業としかいいようがない。
(宮川泰さんとヤマトのエピソード)
- 宮川さんは『宇宙戦艦ヤマト』のプロデューサー・西崎義展から「主題歌は『鉄』をイメージする曲を書いてくれ」という依頼を受け、困惑したと語る。また、西崎さんからの注文は「バラード調で」ということであったが、宮川さんはこの曲にふさわしいのは雄壮なイントロであると考えていた。テレビシリーズでは第3話までバラード調の歌い出しが使用され、第4話以降は一般的にも認知されている雄壮なイントロが使用された。
- 宮川さんの葬儀において、出棺の際に50人からなる吹奏楽バンドが盛大にヤマトのテーマを奏で故人を送った。これは生前からの本人の希望であった。知人の葬儀に参列した帰りのタクシーで「俺の時は(俺が死んだら)、『ヤマト』な」と息子(宮川彬良)に託していたと、音楽番組『どれみふぁワンダーランド』などで宮川彬良本人により語られている。
ウィキペディアより引用、抜粋
👆宇宙戦艦ヤマト (1) / ささきいさお + ロイヤル・ナイツ
👆☆ イスカンダル ☆ 宇宙戦艦ヤマト 交響曲
動画画像は、本作内容とは関連ありません。
★ネットなかった時代を浮上したヤマト(過去記事ですが、ご参考までに)
なお、『宇宙戦艦ヤマト』(1974年TVシリーズ)の配信先はありません。
